中国ではいま、「ゼロコロナ」政策へのデモ活動が拡大し、政府に対する憤りの声が各地で噴出している。厳しい言論統制が敷かれている同国で、民衆はいかにして勇気を奮い立たせて行動を起こしたのか。中国で約300万部、そして世界累計で1000万部を突破した、大ベストセラーシリーズ『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の2冊を手がかりに、国際コラムニスト・加藤嘉一氏がその背景を探る。
沈黙を破り、
立ち上がった中国の民衆
いま、中国国内では、市民による、お上に対する抗議活動が行われている。お上は習近平総書記率いる中国共産党を指し、抗議の引き金は「ゼロコロナ」策である。
国際コラムニスト。楽天証券経済研究所客員研究員
1984年静岡県生まれ。2003年高校卒業後、単身で北京大学留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。英フィナンシャルタイムズ中国語版コラムニスト、復旦大学新聞学院講座学者、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、ハーバード大学ケネディ・スクール(公共政策大学院)フェロー、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員、香港大学アジアグローバル研究所兼任准教授などを歴任。著書に『われ日本海の橋とならん』『中国民主化研究:紅い皇帝・習近平が2021年に描く夢』『リバランス:米中衝突に日本はどう対するか』(いずれもダイヤモンド社)など。
11月24日夜、新疆ウイグル自治区ウルムチ市にある高層マンションで火災が発生し、少なくとも10人が亡くなった。地元政府による都市封鎖措置が、火災からの救出を妨げた、もしくは少なくとも遅らせたために、助かる生命が助からなかったとの声が上がっていた。
ウルムチで亡くなった市民を哀悼するための集会が、上海や北京など全国各地に広がった。大学生も立ち上がった。「習近平は退陣せよ」「PCR検査じゃなくて自由をよこせ」といった掛け声のもと、白い紙を掲げてお上に対する不満を表明した。
厳しい言論統制が敷かれるなか、自分たちには声を発する権利が与えられていない、故に「白紙」を突き付けているのだ。いま自分たちに必要なことは、無批判に我慢し続けることではなく、声を上げることである、と。
そんな光景を眺めながら脳裏をよぎったのが、「勇気」という生き様である。
中国で圧倒的な支持を得た、
日本発の自己啓発書とは?
勇気、と言えば、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の2冊が思い浮かぶ。私も2回熟読し、生きていくための勇気をもらった。同書は世界40以上の国・地域・言語で翻訳され、シリーズ累計で1000万部以上の部数を誇る。うち、日本では累計約370万部、中国では今年11月時点で300万部近くが売れている。
「不安だから、外に出られない」という原因論に立脚するフロイト心理学とは対照的に、「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」という目的論を提唱するアドラー心理学が、日本の読者の間で多くの共感を呼び、勇気を与えた事実は、正直想像に難くない。
幼少期から「人様に迷惑をかけないように」と教育されてきた日本人は、自分がどうありたいかよりも、他人にどう見られるかを気にする。嫌われないためにはどうすべきかを最優先し、行動規範とする傾向が強い。一方、私を含め、多くの国民はそんな生き方に息苦しさを感じてきた。「課題の分離」を通じて、「いま、ここ、わたし」を生きること、「自由とは、他者から嫌われることである」と説くアドラーの教えが心に響く所以であろう。
多くの中国人は
「嫌われること」を気にしない
2003年、高校卒業後中国に渡って以来、中国本土、米国、香港などで多くの中国人と時空を共有してきた。中国は多様的であり、地域、性別、世代、民族、職業、生い立ちなどによって、中国人の生き様もまちまちであるが、私なりの「中国人観」に基づいて言えば、『嫌われる勇気』が“あの中国”でベストセラーと化している現実には、若干の違和感を覚える。
というのは、私から見て、小中高生、大学生、都市部の中産階級、農村部の低所得者、海外に移住した富裕層などを含め、「いま、ここ、わたし」を生きることに精一杯な大多数の中国人は「嫌われること」など恐れていない。
チェコのプラハを訪れたことがある。カレル橋を歩いていると、橋上の半分くらいが中国人観光客で埋め尽くされていることに気づいた。中国の存在感について色々考えていると、中高年の女性が、地元の住民に対して、東北訛りの中国語で、ものすごい形相で言い寄っていた。困惑する住民は当然、女性が何を言っているのか、なぜ怒りをあらわにしているのかなど知る由もない。付近を通過する女性の同胞たちも、意に介している様子ではない。
彼らはそこを異国の地だとは見なさない。自分が、中国人が、訪問先でどう思われるか、相手が自分の放っている言葉を聞き取れているかなど気にしない。ただ、そのときそうしたかったから、そうしただけである。中国国内でそうやって生きてきたように。
ある中国人女性の読後感
勇気シリーズを読んだ武漢市出身の女性(40代、国有企業勤務)は言う。「この本は特に日本人が読むべきと思います。日本人は他者に迷惑をかけることを恐れ、他者の目に映る自分をとても気にする。そして、本当の自分を演じようとしない」
一方で、この女性は、勇気シリーズが今を生きる中国人に、自分への向き合い方やこれからの生き方を考える上で、一定の示唆を与えるものであったとも主張する。
「いくつかの概念は従来の考え方を完全に覆すものです。例えば、『過去は存在しない』。一方、アドラー心理学はフロイト心理学などに比べて近づきやすい。『嫌われる勇気』というタイトルには好奇心がくすぐられるし、内容も読み取りやすい。『なぜなのか』ではなく、『どうしたいか』に主眼を置くアドラーの教えも、中国人の生き方に合っていると思います」
文化大革命など激動の時代を生き抜いてきた中国人は、過去がどうあろうと、それにとらわれることなく、これからどう生きたいかだけを考えて、いま、ここで、わたしができることに精一杯取り組んでいるように見受けられる。「大切なことは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」というアドラーの教えにも共感するだろう。
アドラーの教えと
中国民衆の「勇気」
わたしが、いま、ここを生きられなくなったとき、中国人は何を思うだろうか。
日本人を含めた多くの外国人は、中国という共産党一党支配の社会主義国家は、習近平の3期目入りによってますます独裁化していく、そして、厳しい言論統制下に生きる中国人は、自らが置かれた環境について何も知らないという見方をしている。
一方、インテリジェンスとネットワーキング、言い換えれば、情報力と人脈力に長けた中国人の多くは、自らが置かれた状況を相対的に客観視する資質を備えている。習近平が従来の慣例や前提を破って権力の一極集中と個人崇拝を強化すること、新型コロナウイルスの感染拡大防止という「大義名分」に便乗して監視システムを徹底強化すること、西側の自由や民主主義を真っ向から否定し、唯我独尊の進路を歩むことが、中国という国民国家の将来にどれだけの不都合な真実をもたらすかを、彼らは想像し、そこに困惑する。
習近平の、中国共産党の権力は絶大である。そこに歯向かうことは、少なくとも経済的、社会的、政治的に、「死」を意味する。自分は前途を失い、家族は路頭に迷う。中国人にとって、権力に異を唱え、意見することは、我々が想像するほど容易(たやす)いことではないのだ。
ただ、沈黙は無為を意味しない。現に、ウルムチでの事件が引き金となり、多くの中国人が立ち上がった。勇気を持って。彼らは今こそ奮い立たされるだろう。『嫌われる勇気』に記された「人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないこと」「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」というアドラーの教えに。
絶大な権力を前に、勇気を持てたとしても、一人では立ち上がれない。彼らは共産党を、習近平を恐れているけれども、なめてはいない。幸いなことに、彼らには仲間がいた。ウルムチ、北京、上海……地域、民族を越えて、他者を仲間だと見なし、他者に貢献することで、自分の居場所を見出そうとしている。アドラーが説く「共同体感覚」がそこにはあった。
「所属感」は、
自らの手で獲得していくもの
2012年8月、私は10年過ごした北京を離れ、ボストンにいた。米ハーバード大学ケネディ・スクール(公共政策大学院)に遊学するためだ。多くの中国人留学生も学びに来ていた。
雪が降りしきるほど寒くなった冬のある日、3人の中国人とケネディ・スクールにやって来た。そのうちの1人が入り口にある同大学院の「座右の銘」を指さし、「これっていい言葉だよな。そう生きるべきだ」とつぶやいた。私たちは前方に目をやり、無言で頷(うなず)いた。
Ask What You Can Do?
1961年の就任演説で、ジョン・F・ケネディ元大統領が語り掛けた、あの言葉である。
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」(My fellow Americans: ask not what your country can do for you -- ask what you can do for your country.)
異国の地で学んだ多くの中国人は、ケネディの残した言葉を見て、感じて、祖国に対して何かを思い、その後の日々を過ごしてきたはずである。
アドラーは、「この人は私に何を与えてくれるのか」ではなく、「私はこの人に何を与えられるか」を考えるべきだと説く。所属感とは、生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものなのだと。
不確実な将来に対し、言葉にできない、想像すらできない不安を抱えながらも、いまを、ここを必死に生きる中国人たちは、それぞれの「人生のタスク」に向き合っていくに違いない。
(終わり)