哲人と青年、インドネシアに現る──。インドネシアの出版社が主催するイベント「Ruang Tengah Festival」に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏がオンラインで登壇しました。毎年開催されるこのイベントは、インドネシア全土から作家、読者、出版社が集う文学祭です。2022年のテーマは「#Reading Asia」ということで、アジア各国から多くの作家やジャーナリストが招かれ、さまざまなトークセッションが開かれました。
岸見氏と古賀氏のセッションは、参加者からの質問におふたりがその場で答えていくというもの。著者と直接話せる貴重な機会に、会場や配信視聴に集まった読者からは数多くの質問が寄せられました。日本とは言語も文化もまったく異なる人たちは『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読んで何を感じ、著者にどんな疑問をぶつけたのか? 白熱したインドネシア読者との「対話」の模様を3回にわたってお届けします。(構成/水沢環)

アドラー心理学を解説した世界的ベストセラー『嫌われる勇気』の著者がインドネシアのイベントに登壇インドネシアのイベント「Ruang Tengah Festival」にオンライン登壇した岸見一郎氏(上段左)と古賀史健氏(上段右)。下段は司会役のAchaさん。

アドラー心理学を紹介するうえでの苦労

司会 みなさん、こんにちはー! イベントへようこそ! 今日の講演者は、世界的なベストセラー『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎先生と古賀史健さんです。私たちは幸せについて、どれほど理解しているのでしょうか。おふたりとの対話で、幸せになるために私たちがすべきことを考えていきましょう。それではおふたりに登場していただきます。みなさん拍手でお迎えください!(会場拍手)

 はじめに、こちらで用意した質問にお答えいただきたいと思います。まず、『嫌われる勇気』でアドラーの思想を日本の読者に紹介する際に、いちばん苦労したことは何ですか?

岸見一郎(以下、岸見) 僕から答えましょうか。アドラーは1870年生まれで、それほど昔の人ではないにもかかわらず、思想は非常に新しい。時代を一世紀先駆けした思想家だといわれています。

 その新しさは「人間は対等である」という考えを提唱したことにあります。そして残念ながら、彼の考え方はいまだ常識にはなっていません。ですから、日本の読者だけでなく、誰であっても最初にアドラー心理学に触れたときに戸惑うことが多いのだと思います。これがアドラー心理学を紹介するときに苦労した点です。

世界的ベストセラー『嫌われる勇気』の著者がインドネシアのイベントに登壇岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。アドラー心理学の新しい古典となった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』執筆後は、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』『幸福の哲学』などがある。

古賀史健(以下、古賀) 『嫌われる勇気』を出した2013年当時、日本においてアドラーの名前はほとんど知られていませんでした。もしも、有名だけど嫌われている、誤解されているという人だったら、その誤解を解けばいいだけですよね。でもこの本については、読者が全然知らない人について、最初から説明しなければならなかった。これは難しかったです。

 それから、日本人読者が「欧米の人はそう考えるかもしれないけど、日本人は違う。私たち日本人には当てはまらない」と思わないように書くことが難しかったですね。そのため、哲人と青年はできるだけ無国籍なキャラクターにするように心がけました。

自分を変えるための心理学

司会 なるほど。それでは次の質問です。第2弾の『幸せになる勇気』では、「アドラーは誤解されやすい思想家である」と書かれています。主にどのような点で誤解されているのか、またその理由は何だと思われますか?

古賀 じゃあこれは僕のほうから。アドラー心理学は、自分を理解して自分を変えるための心理学です。一方で、一般的な心理学は人間そのものを理解したり、他人を分析したりすることに使うもの。その頭でアドラー心理学に触れると、知識だけを得て他人のことを分かった気持ちになってしまう、でも自分の生き方は何も変わっていない、ということになるんです。

 アドラーが本当に求めていたのは自分自身が変わること。自分の生き方を変えるところにまで踏み出すことです。そこを理解・実践できるかがアドラー心理学の難しさであり、誤解を招く部分だと思います。

アドラー心理学を解説した世界的ベストセラー『嫌われる勇気』の著者がインドネシアのイベントに登壇古賀史健(こが・ふみたけ)
ライター/編集者
1973年福岡生まれ。株式会社バトンズ代表。これまでに80冊以上の書籍で構成・ライティングを担当し、数多くのベストセラーを手掛ける。20代の終わりに『アドラー心理学入門』(岸見一郎著)に大きな感銘を受け、10年越しで『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』の「勇気の二部作」を岸見氏と共著で刊行。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』『取材・執筆・推敲』などがある。

岸見 アドラーの言葉自体は難しいわけではありません。だからこそすぐに「分かった」気になってしまう。その「分かった」がアドラーを誤解することにつながります。

 それから、アドラー心理学を知っても、すこしも楽にはなりません。他の人に問題があると思っていた人がアドラー心理学を知ると、あらゆることが自分に返ってくる。これは非常に受け入れることが難しいので、むしろ前のほうが楽だったと思う人はいます。自分に改善すべき点があることを受け入れたくない人がアドラーを誤解してきたように思います。

司会 たしかに、アドラーの教えは実践するのが難しいかもしれないですね。それでは次の質問です。『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』はいずれも対談形式で書かれています。なぜこの形式になったのか、執筆の過程について教えてください。

古賀 これは単なる対談ではなく、ソクラテス式の「対話」だと考えてください。執筆にあたっては、本の中で哲人と青年が語り合っていたように、僕が何度も岸見先生の家を訪ねて、たくさんの質問をぶつけました。僕は青年よりやさしい言葉で、紳士的に尋ねましたが(笑)。何年も続けた実際のやりとりが、そのまま反映されています。

岸見 私は長年プラトンの哲学を研究しているのですが、哲学の本来の在り方は対話だと考えています。ですから、古賀さんと編集者さんの3人でのやりとりの中で、「対話をそのまま本にしよう」という提案があったとき、それこそまさに哲学を再現するものだと思いました。

(次回に続く)