書影『中森明菜の真実』『中森明菜の真実』(エムディエヌコーポレーション)
渡邉裕二 著

 一方の聖子は、初の“失恋ソング”として発売した「瞳はダイアモンド」(八三年一〇月二八日)が、年を明けた八四年もロングヒットを続けていた。

「前作の『ガラスの林檎/SWEETMEMORIES』からの評判もあって、ヒット・チャートは、文字通り聖子の一強となっていました。ですから『瞳はダイアモンド』も発売後は大ヒットとなり、(八三年)一一、一二月はオリコン月間一位を揺るぎないものにしていました。当然、『ザ・ベストテン』も一位を独走していたのですが、その流れを止めたのが『北ウイング』だったのです。八四年一月一九日放送で明菜が聖子に代わって一位の座を奪い取り、その後、聖子が新曲『Rock'nRouge』を発売(八四年二月一日)したにもかかわらず五週にわたってトップを独走したのです。いずれにしても『ザ・ベストテン』における明菜パワーは別格でした」と興奮気味に語るのは、当時を知るアイドル・ウォッチャーだ。

 余談ではあるが、聖子は「Rock'nRouge」以降、八四年は「時間の国のアリス」「ピンクのモーツァルト」、そして「ハートのイアリング」と三枚のシングルを出してきたが、「ザ・ベストテン」では二位止まりで一位にランクされることはなかった。そうした意味では苦渋の一年だったかもしれない。前出のアイドル・ウォッチャーは言う。

「オリコンでは初登場一位は当たり前だったのですがね、それが『ザ・ベストテン』ではトップに届きませんでした。もちろん、これには意図なんてものはまったくありませんでした。この年は明菜の“ツッパリ三部作”で注目された売野さんが作詞を手がけてデビューしたポップス・グループのチェッカーズが大活躍だったのです。とにかく出す曲出す曲がすべて上位を独占していました。その他にもALFEEや安全地帯などもブレイクしていました。ですから、各レコード会社は新曲の発売日には異常に神経を使っていましたね。発売のタイミングがチャートを左右するので当然ですが、そうした中で聖子は、オリコンのチャートでは圧倒的な強さを発揮していました」

 だからといって『ザ・ベストテン』でも一位を取れるとは限らない。レコード売上げのほか、有線放送リクエスト、ラジオ放送リクエストチャート、番組に寄せられたはがきのリクエストといった、さまざまなポイントを集計してランキングを発表するからだ。

「ところが明菜の場合は『トワイライト―夕暮れ便り―』もそうでしたが、チャートでは最高位が二位だったところ、『ザ・ベストテン』では一位にランクされたんです。しかも、全国ネットの高視聴率番組ですからインパクトも大きいわけです。結局、その流れが『聖子対明菜』の色合いを強めたことは間違いないですね。とにかくコントラストのまったく違う聖子と明菜というのはメディアにとっても扱いやすかったし視聴者、あるいは読者の関心も高かったのです」(前出のアイドル・ウォッチャー)

 だが、内情は「聖子の人気は圧倒的だったが、勢いは明菜の方があった」と言う音楽関係者が多かった。そうした中で「北ウイング」に続いて発売されたのが「サザン・ウインド」だったのだ。