ノーベルの語った言葉

 ノーベルのもとを訪れたオーストリアの作家ベルタ・フォン・ズットナー(一八四三~一九一四)に語った言葉が残されている。

「永遠に戦争が起きないようにするために、驚異的な抑止力を持った物質か機械を発明したい」「敵と味方が、たった一秒間で、完全に相手を破壊できるような時代が到来すれば……」「すべての文明国は、脅威のあまり戦争を放棄し、軍隊を解散させるだろう」。

 一瞬のうちにお互いが絶滅するような兵器をつくることができれば、恐怖のあまり戦争を起こそうという考えはなくなる─。優秀な軍用火薬を開発し、各国の軍隊に売り込んだ背景には、ノーベルのそういった考えがあったのだ。

 彼が生涯戦争を憎み平和を願ったのは噓ではないだろう。軍備を縮小するだけでは平和への効果は弱く、兵器の殺傷能力が高くなるほど平和になると考えていたようだ。

 しかし、ノーベルの遺言書の「国家間の友好、軍隊の廃止または削減、及び平和会議の開催や推進のために最大もしくは最善の仕事をした人物」(平和賞)というのは、先のノーベルの考えと矛盾しているようにも思える。親交のあった作家ズットナーの戦争反対をテーマにした小説『武器を捨てよ!』(一八八九年)が、当時欧米で話題になっていた。その小説に感激して平和賞を思い立ったからではないのかとも伝えられている。

 ちなみに、女性としてはじめてノーベル平和賞を受けたのは、一九〇五年、第五回のズットナーである。彼女は作家として、平和主義者として、戦乱相次ぐ欧州で生涯を平和運動にささげたことが評価されたのだ。

※本原稿は『世界史は化学でできている』からの抜粋です)

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左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。