火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。化学という学問の知的探求の営みを伝えると同時に、人間の夢や欲望を形にしてきた「化学」の実学として面白さを、著者の親切な文章と、図解、イラストも用いながら、やわらかく読者に届ける、白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』が発刊。発売たちまち1万部超の大重版となっている。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

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中国での磁器の発展

 陶磁器のなかの磁器のうち、白磁は中国の南北朝時代の北斉(五五〇~五七七年頃)に始まるが、唐代(六一八~九〇七年)に発達し、次の宋代(九六〇~一二七九年)に最盛期を迎える。カオリン(白陶土)、石英、長石などを原料にした粘土で、一三〇〇℃台の高い温度で焼成してきれいな白色の硬質磁器をつくった。できあがったものは、強くて、軽くて、透明感を持ち、きわめて滑らかな美しい器になった。

 中東や西洋の貿易商は、この硬質磁器に大きな商品価値を見出した。当時のヨーロッパ人は飲み物を木材、銀、土器の器などで飲んでいたためだ。十七世紀、硬質磁器が飲茶の作法とともに中国からヨーロッパに輸出され、先々で熱狂を巻き起こした。

 そして、中国の陶磁器は宋・元・明・清の時代(九六〇~一九一二年)を通して重要な輸出品となり、遠く西アジア、ヨーロッパにも運ばれた。インド洋を経てイスラム圏に運ばれたルートは「陶磁の道」と呼ばれている。

 磁器は十二世紀には朝鮮へ伝えられ、江戸時代初期より朝鮮の陶工により日本でもつくられるようになった。有田焼、伊万里焼が有名だ。

「マイセン」の誕生

 ヨーロッパではつくり出せなかった硬質磁器。列国の王侯貴族、事業家たちはやっきになってその製法を見つけようとしていた。

 なかでもドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王(一六七〇~一七三三)は、蒐集した磁器で城館を飾っただけではなかった。錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉して、「磁器製法を見つけないと命はない」と命じた。ベトガーは、さまざまな白い鉱物を使って体系的な実験を進めた。

 ついには、カオリンが地元でとれることがわかって転機が訪れる。一七〇八年、磁器に近いものをつくり上げ、一七〇九年には白磁製法を解明、一七一〇年にヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生したのだ。現在もドイツの名窯マイセンは、西洋白磁のトップに君臨している。

 エルベ川のほとりの古都マイセンの近辺には露天掘りでカオリンを採掘できるザイリッツ鉱山があり、エルベ川の船運により材料や製品の輸送も容易だった。ザイリッツ鉱山はマイセン窯の自社鉱山になっており、露天掘りができなくなった後も坑道を掘ってカオリンを採掘している。