「脱イニエスタ・エース大迫」で
結果を残す吉田監督

 神戸がJ1残留争いを強いられた昨シーズンの後半戦で、故障が続いたイニエスタはほとんどピッチに立てなかった。迎えた今シーズンもコンディション不良で出遅れ、2月にリーグ戦が開幕してからはアンナさんの第5子出産に立ち会うために一時帰国。再来日は3月中旬だった。

 一方の吉田監督はシーズン途中の昨年6月に就任し、最下位にあえいでいた神戸を最終的に13位で残留させた。13年限りで現役を終えた神戸で指導者の道を歩み始めた吉田監督は、17年8月、19年4月に続く3度目の登板であり、過去2度はともにシーズン途中で解任されていた。

 21年はJ2のV・ファーレン長崎の監督に就任するも、シーズン序盤の5月にはアシスタントコーチに配置転換された。その後は強化部スタッフとして神戸へ復帰。これまでと同じく、例えるなら「応急措置」的な形で率いた神戸を必死に立て直し、何とかJ1残留という結果を手繰り寄せた。

 引き続き指揮を執った今シーズン。イニエスタを欠いた状態で開幕を迎える状況がわかっていた中で、キャンプから新しい戦い方を模索してきた吉田監督は一つの答えにたどり着いた。

 守備では球際の強度を重視し、前線から激しく連動したプレスを展開。泥くささと運動量の多さを前面に押し出し、ハードワークによってボールを奪い取る。そして、ボールを奪えばロングボールをFW大迫勇也へ送る。ピッチ上の大黒柱をイニエスタから、オフの間にコンディションを整えて復活した大迫にスイッチさせた。

イニエスタが最終戦で監督を“無視”した理由…人格者が見せた「もう一つの顔」ビブス姿で戦況を見つめるイニエスタ Photo:Masashi Hara/gettyimages

 イニエスタの加入後に掲げられた「バルサ化」の対極に位置する、堅守速攻スタイルが鮮やかにはまった神戸は開幕ダッシュに成功。イニエスタが退団を表明した時点で首位に立っていた(本稿執筆時点では2位)。

 サッカーの鉄則として「勝っている間はメンバーを代えない」がある。札幌戦を迎えるまでイニエスタのリーグ戦出場は3試合。すべて後半途中から投入され、プレー時間もわずか38分だった。

 吉田監督は神戸を勝たせる手段として「脱・イニエスタ」を決断し、実際に昨シーズンまでとはまったく異なる結果を残してきた。5月に39歳になったイニエスタもまた、プロとして常に試合に出られる準備を整えながら、ベンチから、あるいはベンチの外から好調な神戸を見つめてきた。

 その間にいつしか、居場所がなくなった神戸に別れを告げ、ピッチの上で最後の輝きを放った上でスパイクを脱ぎたいと思うようになった。イニエスタは退団会見でこんな言葉を残している。

「サッカーを続けていく限り、引退する日がどんどん近づいてくる、というのは誰もが感じること。その中で自分がこのチームを去るべきタイミングを、いろいろな局面で考え始めました」

 だからこそ、札幌戦での先発出場はイニエスタにとっても意外だったはずだ。昨年8月を最後に遠ざかっていたイニエスタの先発起用の意図を問われた吉田監督は、苦笑しながら言葉を濁した。

「それに関しては説明はいらないかな、と。彼に対するリスペクトということです」