「人的資本開示」は、単なる成果指標ではない

 かつて、人事部門は、給与計算・労務管理・人事評価などのオペレーション業務を確実に遂行する事が最も重要な役割だった。しかし、これに加え、これからの時代、人事部門は経営企画に近い存在として、積極的に経営層や現場に働きかけていくべきだ。もちろん「言うは易く、行うは難し」でさまざまな困難があるだろう。しかし、それでも、人事担当者自身は意識を変えていく必要がある。

伊藤 いま進んでいる人的資本を巡る動きは、「人事部門、頑張れ!」というメッセージにつながると思います。もちろん、本業が絶好調で人事部門が頑張らなくても大丈夫という会社もあります。しかし、長い目で見たとき、「人が育ち、定着する組織風土があるかどうか」が重要になっていきます。

 人事部門の強化は組織トランスフォーメーションの鍵です。人的資本に限らず、社内のコミュニケーション強化であったり、社風の改革であったり、人に着目してさまざまな施策を打たないと時代の変化に対応できません。

 また、人的資本への “投資”は、すぐに費用対効果が問われることもありますが、一足飛びに成果は出ません。例えば、多様性が確保されて社内の雰囲気やコミュニケーションが変わり、そこから従業員のエンゲージメントが上がって生産性が改善し、成果に結びつくという流れが大切なのです。

 人的資本開示は会社が良いほうへ向かっているかどうかを判断する物差しや健康診断結果のようなものであって、単なる成果指標ではありません。また、情報開示をするにあたって、「そもそも、自社の人材育成や人材の活躍という点で他社と比較し優れている点や不足している点は何か?」といった現状を正しく整理したうえで、人事部門として統一した見解や方向性を持つことが重要です。そのうえで「人材育成の面で我が社はココがすごい」「人が活躍するこの仕組みが我々のウリだ」など、自社にとってのアピールポイントを見つけ、それを強調しながら情報発信するのも一案です。内閣官房のガイドラインや金融庁による有価証券報告書の記載義務をクリアしたうえで、自社の強みや特徴を開示していくのであれば、数字にこだわる必要もなく、定性的な情報でも構いません。

「この会社ってなんだか楽しそうだな」「これから大きく成長しそうだな」と思ってもらえるような数字をうまくストーリーにして発信してみてください。

 最後に、人的資本開示に対しての、人事担当者へのアドバイスと社員個人の心構えを伊藤さんに訊いた。

伊藤 人的資本開示にこれから取り組む人事担当の方は、同業他社や先行他社のケースを調べるところから始めるとよいでしょう。さまざまなセミナーや講演会も行われていますので参加してみるのもありです。次に、現在の標準的な開示項目や開示のやり方を踏まえ、自社の数字を確認してください。最初は他社事例をそのまま真似るのでもいいですが、その先は自社なりのメッセージ性を持ったデータや表現を練り上げていくことが重要です。

 働く皆さんにとっては、自身のキャリアが会社任せではなく自分でコントロールする時代になっていることを念頭に置いたうえで、各社の人的資本開示を転職活動などの企業選択の判断材料にすることができるでしょう。

 主体的に考え行動できる選択肢が人的資本開示によって増えているのです。働く皆さん自身が自社や他社の人的資本開示に注目し、それをキャリア形成に役立てればいいと、私は考えます。