「人的資本」のさまざまな課題をクリアするために

 各企業・団体において、「人的資本」にまつわる課題は山積しているようだが、それらをクリアしていくにはどうすればよいのか。企業への提言を行っている伊藤さんに、具体的なポイントをいくつか挙げてもらった。

伊藤 会社としての取り組み方針を明確にすることが大前提です。うまく行えている会社をみると、ローテーションや人材交流で人事部門のキーポジションに現場経験の豊富なメンバーが入っていることが少なくありません。そうしたメンバーがいると、現場を回していくためにどういう視点が重要なのかが明確になり、役員への説明などもスムーズにいきます。現場経験の豊富なメンバーは、兼務ではなく、短期間の在籍でもなく、人事部門にガッツリ関わってもらうのが鍵です。最近は手挙げで人事部門に行きたいという人もいるので、必要に応じて、人事部門のスタッフを流動化させるべきでしょう。

 また、人的資本開示においては、数字だけが一人歩きしたり、数字だけがクローズアップされたりすることがあるので注意が必要です。例えば、男女間の賃金差を計算してみると、それが意外に大きく、「どうしようか……」ととまどい、いかに数字を整えるかを考えてしまいがちです。

 ダイバーシティ施策などは、本来、「環境変化に柔軟に対応できる組織の多様性を確保するため」という理由から考えるべきです。そうすれば、「全体での数値は男女間で差があるかもしれないけれど、同じ階層でみれば男女間の差異はあまりなく、差異があっても業界の平均よりは少ない」といった説明もできるでしょう。ただ、ダイバーシティ施策の理由が現場レベルで十分に理解されるには、人員の配置や採用のタイミングから変えていく必要があり、長い時間がかかることを想定して取り組まなければなりません。

 「人」と付く課題や業務はすべて人事部門任せになりがちという話があったが、人的資本に関する数字が同業他社よりも低かったり、前年比で下がったりすると、経営層が人事部門に対して「どうしてなんだ?」と圧をかけたり、社内からも「人事は何をやっているんだ?」といった批判を浴びることもある。

伊藤 一般的な傾向として、人的資本関係の数字は人事部門の責任になることが多いようです。人的資本開示の動きが強まっていくなか、ますますその方向になると、私は考えています。

 そうではなく、見えてきた数字を、例えば、エンゲージメント調査を毎年続けた結果、「下がった理由を分析したら隠れた問題が見えた」「エンゲージメントを高めるために、今期はこういう手を打とう」というふうに、建設的な対応のきっかけにするのです。

 人的資本開示においては、「1回開示した項目を、その後は開示しない」ということはあり得ないでしょう。「数字が下がらないようにする」のではなく、「数字が良くないのは改善すべき課題があるというサイン」と受け止めて、手を打てばよいと思います。

 いずれにしろ、経営のトップが「人的資本開示は経営課題である」と理解し、現場が協力し、会社全体で取り組めるかどうかがポイントです。