3 読む前から得られる感情がわかり、読みやすい

「余命もの」と言われるくらいだから、主要登場人物のうちの片方が死ぬことは決まっている。つまり、泣ける話であることは読む前からわかる。また、主要登場人物のうちのひとりが死に向かって病状が悪化していくのと、男女の仲が一進一退しながらも深まっていく過程だけを追えばいいから、筋としてもシンプルだ。

難病もの、純愛ブームから連綿と続く

 また、「死者との再会・交流」ものとは、なんらかの超自然的な力を用いて、死者と遺された人間とが一時的に再会・交流し、また別れる、というタイプの作品である。

「余命○年」「死者との再会」を扱う本を、今も昔も若者が大好きな理由村瀬健『西由比ヶ浜駅の神様』(メディアワークス文庫)

 たとえば、西由比ヶ浜駅にいる女性の幽霊に頼むと過去に戻って電車の脱線事故があった当日の電車に乗ることができるという話を聞きつけた遺族たちが死者に会いに行くという村瀬健『西由比ヶ浜駅の神様』(メディアワークス文庫)や、一生に一度だけ死者との再会を叶えてくれるという「使者(ツナグ)」の仲介のもとで生者と死者とが一夜限りの邂逅を果たすさまを描いた連作である辻村深月『ツナグ』(新潮文庫)などである。

 こちらも中高生の三大ニーズに引きつけて見てみよう。

1 正負両方に感情を揺さぶる

 もう二度と会えないと思っていた存在に再会できれば、誰でも嬉しい。しかも、生前は聞けなかった本音、本心が語られ、見えなかった部分を知ることができれば、余計に心が動かされてしまう。しかし、再会や交流は一時的なものであり、関係がより深まったと思ったころ、すぐに再びの別れがやってくる。これを何組もの人物たちを扱った連作短篇形式で展開するから、読者の感情は忙しく揺れ動くことになる。

2 思春期の自意識、反抗心、本音に訴える

 死者との再会に意味が生じるのは、生者と死者の双方に、お互いに対して言い残したこと、伝えきれなかったことがあるからだ。死者と生者はともに、そういう後悔を抱えていると、読者は無意識のうちに感じている。親しい相手であっても、あるいは親しい間柄だからこそ言えないこと、言わないことがある。しかしそこには本当は伝えたかったこと、伝えるべきものがある――そう、読者自身が思っている。死者との再会・交流ものでは、現実の読者がなかなか求めても得がたい、「言えない本音」を吐き出し合える関係性が描かれる。

3 読む前から得られる感情がわかり、読みやすい

 生前には伝えきれなかった真情を吐露しあい、泣ける感動物語になることが読む前から想像できる。また、基本的にこのスタイルは連作形式を取ることが多い。一篇一篇は短いため、1回10分程度と時間が限られている朝読などでも読みやすい。

 デスゲームは1999年刊行の『バトル・ロワイアル』から始まった、この四半世紀くらいの歴史しかない様式だが、余命もの/死者との再会は、それ以上の期間にわたって人気のある型だ。

 たとえば2000年代には片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001年)や市川拓司『いま、会いにゆきます』(2003年)などが人気を博して「純愛ブーム」と呼ばれたが、『セカチュー』は余命もの(難病もの)、『いま会い』は死者との再会ものである。

 さらに遡ると、1970年代の初期の集英社文庫コバルトシリーズ(のちのコバルト文庫)では難病を扱ったノンフィクション(実話)が刊行されており、1990年代には中高生女子の間で折原みとの小説『時の輝き』(1990年)が大人気作品になった。これは看護師志望の少女と不治の病を患った少年が登場する余命ものだった。

 また、実話だが大島みち子・河野実『愛と死をみつめて』は1963年に刊行されて160万部を売り上げた、軟骨肉腫に侵されて亡くなった女性と大学生男子との往復書簡であり、ドラマ化、映画化されている。『愛と死をみつめて』は、いわゆるサナトリウム文学(死に至る病としての結核を患った人間を描いた小説)である堀辰雄『風立ちぬ』が、1950年代から60年代にかけて映画化、TVドラマ化されて人気を博した流れのなかにある。つまり「最近の若者は『人が病気で死んで悲しい』みたいな単純な物語が好き」なのではなく、昔から根強く需要があるのだ。

 流行のタイトルは時代によって変遷していくが、この型自体は連綿と用いられ続けており、今後もおそらく利用されていくだろう。