パートナーとの対話こそ本質
現実には、制約を1人で抱え込んでしまうケースとそうでないケースがあり、かなり難易度の差が生じている。うまく分担できている方は、何が違うのだろうか。結論から言えば「パートナーとの対話の有無」だ。
あらためて、高度経済成長期の「一般的」なライフスタイルというのは、主に男性が働き、女性が家を守るというものだった。だが、法律も整備され、個人の生き方自体が多様化しているにもかかわらず、いまだに「子育ては女性が担うもの」という価値観は、日本でも、それ以外の国でも完全になくなってはいない。
だからこそ、パートナーと、家族としてこれからどういったキャリアをそれぞれが歩んでいくのか、お互いがどんな価値観を持っているのかを、しっかり本音で話す機会を設けること。
「男性が、女性が」とジェンダー論を展開するつもりはない。ただ、シンプルに、互いに1人の人間として対話し、目線を合わせることこそが、いちばん本質的な解決方法だ。プライベートにおいてもキャリアにおいても、互いにどんなことを想定しているかがわからないからこそ「漠然と不安」になるし、「前倒し」のキャリア設計もしづらくなる。また、いざ子どもを産んだり、介護が発生した後で、価値観の違いからどちらかに制約が集中したりもする。
夫婦ともに(もちろん同性のパートナーシップも同様に)「お互い忙しく、日々のことで精いっぱいで、それぞれのキャリア形成をどうするのか、どうプライベートとバランスをとるかについてなんて、ほとんど話したことがなかった」と言うことも多い。自分のキャリアですら向き合えている人はそう多くないのだから、無理もない。この本が対話のきっかけとなれば幸いだ。
できれば「漠然とした不安」の段階から、あるいは「すでに制約が顕在化」した後でも、少し長い時間軸でお互いの考えを話してみるのがよいだろう。
「うちのパートナーに分担を求めるのは無理だと思います」と話す方もいる。だが、実際に対話すると、もちろん難しいケースもあるが「意外と理解してくれて、分担してくれることになりました」と話す方も少なくない。
生物学的に男性に出産は不可能なわけだが、たとえば先ほどの保育園で熱が出たときに迎えに行くのは、父親でも、母親でもいい。話し合いの末、キャリアジャーニーの中で、妻のキャリアを優先し、夫が育児を重視する選択肢をとる家族もある(もちろん逆もある)。