しかし、彼は絶対にテレビ局にも大手事務所にも屈しなかったし、だからといって、相手を叩き潰すのではなく落としどころを考える天才でもありました。女流棋士・林葉直子さんが、中原誠・永世名人との不倫を告白したことがありました。文春のスクープです。本人の希望で、他のジャーナリズムが追いかけてこないアメリカに逃亡させました。しかし梨元さんは、なぜか居所を見つけ、米国までやってきます。
あまりに世間から叩かれる名人を気の毒に思ってしまった林葉さんは、文春の手から離れ、梨元さんたちと米国で記者会見をすることになりました。
当時の文春編集長はカンカンで、担当女性記者を叱り飛ばしていましたが、梨元さんは「文春と一緒にやろうよ、もともと手柄は文春なんだから」と、誰もが傷つかない提案をしてきたこともありました(結果的に編集長が拒否しました)。
あまり知られていませんが、彼は権力者が大嫌いでした。そのため、権力に抵抗する政治家の選挙応援にも手弁当で手伝いに行っていたのです。あの陽気な雰囲気が、選挙事務所から支持者までを明るくさせる名演説になります。
梨元さんがもし生きていたら
解決策が見つかったのでは
まだまだ、これから色々な仕事をお願いできるかと思っていた矢先の2010年、肺がんになりました。もともと11回も入院した人ですから、ある意味入院慣れしています。ましてや彼はタバコも吸いません。最初は病室にPCやファックスを持ち込んで仕事をしていましたが、ご自身は「今回は危ない」と覚悟していたようです。
私は当時、『月刊文春』の編集長。闘病記を書いてもらいましたが、病室では夜、奥様やお嬢様と濃密なひとときを過ごしておられたようです。亡くなった後、奥様の手記もいただきましたが、「どんなに忙しくても帰宅前には電話をかけてきてくれた」と、梨元さんの優しさを語ってくれました。
彼がもし今生きていたなら、性被害者にとっても納得がいく、そしてどうしていいかわからないジュリー社長も顔が立つ記者会見と解決策を用意できたと思うのは、私だけでしょうか。
(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)