自分の思い入れよりも
ステークホルダーを優先する

 その後、ブランソンは再び若者にフォーカスを当てた積極経営を続けていくが、1990年になると、今度は第一次湾岸戦争が起こる。航空業界は大きな打撃を受け、ヴァージン・アトランティック航空は資金不足に陥り、手塩にかけて育ててきたヴァージン・ミュージックを売却して資金を調達するか、ヴァージン・アトランティック航空を縮小・閉鎖するかの究極の選択を迫られることになる。このことについて、後に彼は「生まれてはじめて、私は何をすべきかが、わからなかった」と述べている。

 ここで、普通の経営者であれば、思い入れの強いヴァージン・ミュージックを残すという選択をしたのではないだろうか。同社はヴァージンの顔といってもいいようなスターを輩出し、ヴァージン・グループにとってのDNAともいえる存在だったからだ。ところが、ブランソンは逆にヴァージン・ミュージックを売却するという選択をした。そして、その理由を次のように説明している。

書影『DX時代のビジネスリーダー』(経団連出版)『DX時代のビジネスリーダー』(経団連出版)
高野研一 著

「ヴァージン・ミュージックを売却すれば、自分のコントロールは及ばなくなるが、航空会社を救済でき、二つの強い会社を残すことができる。一方、ヴァージン・アトランティック航空を縮小ないし閉鎖するということは、ひとつの強い会社を残すことはできるが、2500人の失業者を出すことになり、ヴァージン・グループのブランドは大きく傷つくだろう」

 つまり、ブランソンは自分自身の思い入れよりも、社会全体を含めたステークホルダーに及ぼす影響を重くみたのだ。職を失う2500人の社員の多くは、ヴァージン・グループのメインのステークホルダーである若者でもあった。こうしたブランソンの経営姿勢は、後にイギリス社会に雇用を創出したという理由で、女王エリザベス二世からナイトの称号を授与されるに至る。

 ここからわかるように、優れた創業者は、ステークホルダーにとって価値をもたらすことにフォーカスを絞っているのだ。マスコミなどで報じられるブランソンの行動だけを見ていると、気球で世界一周したり、宇宙旅行をしたりといった、自分にとって何がカッコイイか、自分の価値観やスタイルにこだわっているように見えなくもない。しかし、それでは、ステークホルダーの支持は得られず、それが大きな価値を生むこともなかっただろう。