ヴァージン・グループ創業者
リチャード・ブランソンの視点

 ここで、ステークホルダーにフォーカスを当てるのと当てないのとで、経営がどう変わるのかを考えるために、ヴァージン・グループ創業者であるリチャード・ブランソンの事例を取り上げたい。ブランソンがまずフォーカスを絞ったのは、当時社会的に台頭しつつあった、ベビーブーマー世代の若者だ。彼らがその後、社会に出て発言力を持つようになることに着目し、その声を代弁する活動に取り組む。また、若者の有する無限のアンメットニーズ(まだ満たされていないニーズ)を満たすようなビジネスを展開していけば、爆発的な価値が生まれるチャンスがあるとの気づきが、ヴァージン・グループの立上げへとつながっていった。

 ブランソンは若者のニーズを満たすようなビジネス、たとえばレコードショップやヴァージン・ミュージックという音楽コンテンツ会社、ナイトクラブや旅行代理店、ヴァージン・アトランティック航空などを次々と立ち上げ、特にヴァージン・ミュージックはボーイ・ジョージやフィル・コリンズなどのスターを輩出し、大成功を収める。また、ひとつの事業がキャッシュフローを生むようになると、それを担保にお金を借りて次の事業に投資するといった形で、累積的に企業価値を膨らませていった。ソフトバンクグループの孫正義がやってきたようなことを、10年以上先駆けて実践していたといえる。その過程で、銀行からだけでは資金調達に限界を感じるようになり、ヴァージン・グループの株式を上場させる決断をする。

 ところが、その直後にブラックマンデー(1987年の株価暴落)が起こり、ブランソンは顧客である若者と、株主である金融街という、ステークホルダー間の板挟みにあう。ブランソンが、若者のニーズを満たす事業に次々と投資しようとすることに対し、投資家はヴァージン・ミュージックのレコード収入が不安定であることを理由に反対したのである。ここでブランソンは、悩んだ末に投資家よりも若者を優先することとし、一度上場した株式を買い戻して非上場化することを決めた。

 ただしその際、投資家が損をしないよう、70ペンスまで値下がりしていた株式を上場売出し時の140ペンスで買い戻すことまでしている。これは、後にまた上場による資金調達が必要になったときのために、投資家との関係を維持しておきたいと考えたからだ。