この連載では、「田園地帯」に起こった価値創造を、意味のイノベーションの例として紹介してきましたが、今回から数回にわたり、ミラノ(イタリア)という「都市」で起きている現象や動きについて、意味のイノベーションの観点から紹介していきます。とはいっても、その変化は一つの動きによって説明されるものではありません。歴史の中で、ミラノの複数の地区で起こった意味のイノベーションに注目します。
ミラノでも都市の空洞化は社会課題だった
欧州において、中世から存在する街の多くは「歴史的中心市街地(歴史地区)」と称されるゾーンが核になっています。かつて城壁に囲まれていた地域で、中心には城や主要な教会があります。貴族の邸宅の多くも、この地区にありました。ミラノでいえば、ミラノ大聖堂やスカラ座、現在は市庁舎となっているマリーノ宮などが集まる地区がそれにあたり、イタリア語で「チェントロ・ストリコ」と呼ばれています。
この地区は、今でこそ文化的にも商業的にもその価値が認められていますが、現在の姿に至るまで幾つかの大きな波を乗り越えてきた背景があります。イタリア都市史が専門の法政大学建築学部名誉教授・陣内秀信さんの『イタリア都市再生の論理』 (鹿島出版会)、『イタリアのテリトーリオ戦略』(共著・白桃書房)に詳しいですが、1950-60年代の高度経済成長期に、都市の過密が問題になります(一方、前々回のトスカーナ州オルチャ渓谷、前回のウンブリア州ソロメオ村に関する記事で示した通り、農村では農業から離れる人が増え、過疎化が進みます)。
ここで二つの現象が同時に生じます。都市の空洞化と都市郊外地区の拡大です。都市の郊外が工業団地や新興住宅地として開発され、企業や住民が郊外に移っていき、都市が荒廃したのです。人々は、効率化に偏った街づくりは、都市としてのアイデンティーの喪失につながると気付きます。
68年、世界の先進諸国で若者を中心に広がった「価値の転換を目指す運動」が一つの契機になりました。課題に気付いた建築家、都市計画家、社会的リーダー、文化人らが、世代を超えてイタリア各地で声をあげたのです。自治体とも手を取り合い、歴史的・文化的財産の保護と再生にかじを切ることで、歴史地区の魅力を再創造していきました。ミラノもその例外ではありません。
ここで注目すべき点として、前述の陣内さんが強調するのは、イタリアでの都市再生は、建物やインフラの保存がメインにあるわけではなく、住民たちの生活そのものの維持に焦点を合わせた社会的な政策であったということです。住民たちは文化や文化財をどのように街づくりに生かしていくかを課題として、自ら街づくりに関与していきます。結果、昔ながらの商店や工房で働く人たちが、仕事を継続できることを視野に入れた取り組みが進んでいくこととなります。これは観光客を集めるために街の景観だけを整える、張りぼて的な街づくりとは一線を画しています。人々が生活をする場所に、歴史や文化が表現された場所という「意味」が付与されたという点で、この70年代のミラノの歴史地区の変化は意味のイノベーションといえます。