2023年のインバウンド需要は、コロナ前を超えると予想されており、その額は6兆円弱と試算されている。こうした明るいニュースの一方で、政治においても経済においても、世界における日本の存在感は依然としてはかばかしくない。
1978年末に打ち出された改革開放政策によって、中国経済は右肩上がりで成長を続け、1990年代半ばには一部の欧米諸国と肩を並べるまでに至る。かたや日本は、こうした中国の台頭を尻目に、バブル崩壊後の1990年代は「失われた10年」といわれ、1998年にビル・クリントン大統領が訪中後に同盟国の日本に立ち寄らず帰国したことから、この一件に端を発する日本への関心度の低下は「ジャパンパッシング」と呼ばれた。
続く2000年代は「失われた20年」、その後も経済の低迷、景気の横ばいが続いたことで「失われた30年」と、いまなお汚名を返上できずにいる。最近では、「ジャパニフィケーション」というジャーゴンがささやかれているが、これは世界経済の先細りを、日本の現状に例えたアイロニーであり、世界が日本を見る目は30年前のままである。
こうした不名誉な評価を覆し、その存在感をいま一度世界に示すには、どうすればよいのだろうか。不定期連載「京大卒リーダーの研究」では、ホストである京都大学総長の湊長博氏、ゲストの三菱商事取締役会長の垣内威彦氏の両氏から、くしくも同じ問題が提起された。それは、「日本がもう一度存在感を世界に示すために、いま何をやらなければならないのか」というものである。
以下の対談では、エネルギーの自給自足、一気通貫した送配電システム、いまだタブー視されている原子力発電、実用化が見えてきた常温核融合など、エネルギー関連のトピックスについて意見交換がなされた。言うまでもなく、2050年までにカーボンニュートラル(CO2排出ゼロ)を達成するという国際公約を守るためだけでなく、経済安全保障、イノベーション立国という、日本の未来を左右する課題にほかならないからだ。
「エネルギーの自給自足」が
日本の未来には不可欠
編集部(以下青文字):今回は、湊先生、垣内会長のそれぞれから「日本の未来について考える」という、広範かつ目線の高いテーマを提案していただいています。特に垣内会長からは、「日本をどういう国にしたいのか」という、我々が日常にかまけて、つい忘れがちな本質的な問いもお預かりしています。
垣内威彦
TAKEHIKO KAKIUCHI 1955年兵庫県生まれ。1979年京都大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。飼料畜産部に配属され、1988年オーストラリア三菱商事(シドニー)、2008年農水産本部長、2010年執行役員、2011年生活産業グループCEOオフィス室長兼農水産本部長、2013年常務執行役員・生活産業グループCEO。2016年4月から2022年3月まで社長を務める。2022年4月より現職。
垣内:私は、日本が今後も国際競争力を損なうことなく、産業立国であることを希求するならば、エネルギーの安定供給、より端的には「エネルギーの自給自足」が何より重要だと考えています。また、安定供給に加え、国際競争力をつけたうえで脱炭素化を実現していく必要があります。
これまで日本は、国内資源が乏しくとも、海外のエネルギー資源を安定した価格で輸入することで、企業や家庭にエネルギーの安定供給を担保してきました。誰もが当たり前のことだと思っていたわけですが、脱炭素に関する国際的な目標に加え、ロシアのウクライナ侵攻などにより、供給体制に歪みが生まれました。その結果、これまで通りというわけにはいかなくなり、今後脱炭素社会を目指していくことを考えると、これからの時代にふさわしいエネルギー供給システムを構築しなければなりません。
当社は長らく、LNG(液化天然ガス)を取り扱っていますが、天然ガスをはじめ、石油や石炭などの天然資源は、世界のどこかで供給が断たれ、需給バランスが崩れると、すぐさま国際価格が2倍、3倍へと跳ね上がってしまう。したがって、国際競争力と安定供給を両立させしつつ、脱炭素社会を目指すには再生可能エネルギーによる自給率を高めていくことが必要です。
もちろんエネルギーの自給自足にしろ、再エネへの移行にしろ、一朝一夕にできることではなく、しばらくはトランジション(移行)の段階です。ただし、移行期はあくまでも移行期であって、最終的なゴール、すなわち「日本はどのような国になりたいのか」という考え方を明確にしたうえでスタートしないと、道を間違えたり、手段が目的化したりとぶれてしまいます。いまはそれがやれるラストチャンスだと考えています。
湊 長博
NAGAHIRO MINATO 京都大学総長。医学博士。京都大学医学部卒業後、米国アルバート・アインシュタイン医科大学研究員、自治医科大学助教授などを経て、京都大学医学部教授に就任。以降、2010年10月同大学医学研究科長・医学部長、2014年10月同大学理事・副学長、2017年10月同大学プロボスト等を歴任し、2020年10月より現職。免疫細胞生物学の多彩な基礎研究を展開、2018年度ノーベル生理学・医学賞受賞者本庶佑教授の共同研究者として新しいがん免疫療法の開発にも貢献。220を超える原著論文のほか、訳書に『免疫学』(メディカルサイエンスインターナショナル、1999年)などがある。
湊:オーストリア・ハンガリー帝国出身の社会経済学者であるヨーゼフ・シュンペーターによると、イノベーションは均衡状態から次の均衡状態に移行する時に起こるそうです。垣内会長のお話を私なりに解釈すれば、エネルギー供給もいままで何とかうまく進めてきて、一定の均衡状態にあったけれども、それがついに崩れ始め、現在は次の均衡に移行するまでのプロセスの途上にある、ということでしょうか。そうであるなら、イノベーションを起こす絶好のタイミングともいえます。
日本のエネルギー事情を振り返ると、これまでは化石燃料と原子力を主力としてきたわけですが、地球温暖化や東日本大震災によって、こうした均衡は崩れてきている。特に地球環境問題はいまや全世界で取り組んでいる課題であり、先進国も途上国も日々奮闘しています。
垣内:とはいえ、新しいエネルギー供給システムに転換するといっても、一気呵成にはいきません。エネルギーの自給自足という最終目標に向けて、20年、30年といったスパンで漸進的に取り組んでいかなければなりません。
また、再生可能エネルギーのみならず、原子力がイノベーションを起こすことについても大いに期待されるところです。原子力技術は確実に進歩しており、次世代型の原子炉が開発されています。また、夢のまた夢とされてきた常温核融合も現実化しつつあります。こうした分野にはチャンスが眠っており、それらを掘り起こしながら社会実装へと導き、普及させていくことがカギとなります。
エネルギー問題に加え、日本企業にとって国内に投資をする対象がないという点も問題だと考えています。国内需要を掘り起こそうとして、日銀がこの20余年、ゼロ金利政策を実施しましたが、日本国内に有望な投資対象が増えたかというと、残念ながら期待を下回るものでした。ですから、大半の日本企業が海外に目を向け、国内の産業は空洞化しました。一方で、海外からエネルギー資源を調達するために年間30兆円を支払っています。したがって、いまこそ新しいエネルギー供給システムの構築にターゲットを絞り、投資すべきだと考えています。
ただしその際、非常に重要な問題を解決しなければなりません。つまり、エネルギーの自給自足に取り組むに当たって、北海道から九州までの送電と配電のあり方について、いま一度考え直す必要があるのです。実は、送配電設備は北海道から九州まで存在しますが、系統連系が不十分であり、地域間でうまく融通し合えておらず、送配電においてかなりの電気をロスしています。
湊:なるほど、部分最適化に陥って、全体最適化が実現していないのですね。
垣内:はい。各地域の境目などの要所要所で送電線をつないで、余剰分は足りないところへ回すといった仕組みも十分可能です。すでに政府はそのような計画を持っているのですが、まだ大きな進捗は見られていません。
湊:つまり、電力供給の全体最適化を実現すべく、需給バランスを無理なく無駄なく効率的に図るシステムができていないということですね。それは発電を担う側でも、送配電の側でも、ということですか。
垣内:そうです。送電と配電の非効率を同時になくしていかなければならないのです。ヨーロッパでは、国家間でも電力は流れて融通されていますから、ロスが少ない。
湊:彼の地は地続きですからね。日本の場合、戦後につくられた9電力体制(その後沖縄電力が加わって10電力体制)が関係しているのでしょうか。
垣内:その問題もまったく無関係とはいえないでしょうが、もう一言言わせていただくと、海外からエネルギーを輸入すればよい、という単純な話ではないということです。再エネを取り込み、平準化してシームレスに流通させるシステムをつくる──。こうしたシステムの最適化には、もちろん時間もお金もかかるわけですが、そのためのネットワークの再構築は避けて通れません。