「人の噂も七十五日」という格言もありますが、デジタルタトゥーのおかげで、噂はバーチャル空間をさまよい続けます。面と向かって非難され、陰口をたたかれたとき、お釈迦さまはどのように対処されたのか。今回は、限りある人生の心構えです。(解説/僧侶 江田智昭)
「悪口を自分のものにしない」ために
「輝け!お寺の掲示板大賞2023」は9月30日に応募を締め切りました。6回目を迎える今回は、7月1日から9月30日までの応募期間の間に、過去最高の4107作品が集まりました。たくさんのご応募、誠にありがとうございます。
今回投稿された作品の一部を年末にかけて毎週ご紹介させていただきます。第1回は大阪市平野区にある専念寺さんの作品です。この作品を書かれたご住職はネコ坊主という愛称で知られ、毎日インスタグラムにアップされる格言は、SNSを中心に大きな話題となっています。
みなさんもこれまで一度くらいは非難されたり、陰口をたたかれたりしたことがあるのではないでしょうか?
そのようなときには、たいてい悔しさや怒りが込み上げてきます。その出来事に心が完全に支配され、夜もなかなか寝付けなかった経験をした方も大勢いることでしょう。お釈迦さまは『法句経』の中で以下の言葉を残しています。
アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。(『法句経』227 中村元『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波書店)
約2500年前のインドに生きておられたお釈迦さまが、「昔にも言うこと」とおっしゃっていますので、どの時代のどんな場所を生きたとしても、人間は決して非難されることから免れることはできません。
実際にお釈迦さまご自身も他者から非難され、罵倒された経験があります。その様子が『サンユッタ・ニカーヤ』という経典に残されていますが、お釈迦さまは悪口を浴びせてくる相手に対して、決して怒らず、相手にしませんでした。
その際、「私が受け取らなければ、悪口はあなたのものになる。そのまま持って帰るがよい」とお釈迦さまはおっしゃいました。もちろん、わたしたちも非難してきた相手に対して同様の言葉を発することができますが、おそらく相手への憎しみや怒りが心にくすぶり続けることでしょう。
つまり、「悪口が自分のものになる」――そこが私たちとお釈迦さまとの大きな違いです。
漫画『重版出来(しゅったい)』などを描かれた松田奈緒子さんの作品に、『100年たったらみんな死ぬ』(講談社)というものがあります。そのタイトルどおり、非難してきた人間も自分も100年後に生きていることはありません。たとえ他者からの悪口が自分のものになったとしても、その怒りや憎しみが永遠にこの世で続くことはない。これが諸行無常です。
地球46億年の歴史を1年だと仮定すると、たとえ人生が100年あったとしても、それは365日の中のわずか1秒にも満たないそうです。このような圧倒的な時間スケールで眺めてみると、「非難してきた相手」や「自分自身」がごくごく刹那的な存在であり、そんな自分が「腹を立てている事象」など小さなものだと感じられます。
喜劇王として知られるチャップリンは、「人生はクローズアップで見れば悲劇であるが、ロングショットで見れば喜劇である」という言葉を残しています。腹が立ったり、人生の苦境に立たされたりしたときには、「100年たったらみんな死ぬ」という事実を思い出して、ロングショットで自分の姿や人生を一度捉え直してみると良いかもしれません。