自己肯定感をあげたい!
そもそも自己肯定感って何?
Q――幼い子どもが母親と一緒に歩いているのを見るとなんだか涙が出てきます。果たして自分は、当時の親が楽しみにしていたであろう未来を生きることができているのだろうかと考えてしまいます。
もっと自己肯定感をあげて生きていきたいのになかなか難しいです。そもそも自己肯定感って何なのでしょうか。
A 肯定も否定もくそもない。あなたはあなたで完璧だしわたしはわたしで完璧なのです。
いやしかし「わたし」は想定より遅れている(もしくは外れている)しあの者より劣る、かつて「わたし」の親が思い描いていたものとは違う、だとかいうのでしょうがわたしたちは比べようのないものです。
それは考え方の違いとかいうものではなく厳然たる事実です。ましてや「かつて」の「他者(親)」の「気持ち」などというあるのかないのかわからないものとなど並ぶことも不可能だ。今流れた流れ星の速度とお茶が美味しいと思う「わたし」と気分はどちらが重たいかとでも聞く方がましだ。
群れる生きものなので群れのためにそうした他との違いは群れの維持のために必要とされるのでしょうが、仕組みがわかればそのことで得をするやつがいるだけのことで、あなたやわたしには関係がない。あなたが何か群れの監視者ならまた別でしょうが。
あなたのいう「わたし」はあなたが絶対唯一無比で、わたしがいう「わたし」はわたしが絶対唯一無比です。絶対唯一無比のあなたが絶対唯一無比のわたしに質問をしているわけです。星と星が話すようなものです。そんなところに自己肯定感などというちんけな言葉の入ってくる余白はない。
体もしんどいし経済的に苦しい
どう生きればいいか心配
Q――山下さんの小説が好きでいつも読んでます。現在私は線維筋痛症、慢性疲労症候群という全身の痛みと怠さの病気を10年患い、仕事ができない状態です。
この病気は難病指定もされてないので公的な支援もなく経済的にかなり厳しくなってきました。自分一人で家事ができないため実家暮らしですが、役所には実家に暮らしている限り生活保護は受けられないと言われました。
長年仕事もしておらず、親も高齢のため今後のことがとても心配です。体調、経済面ともに先行きが見えず真っ暗なところを歩いてるように感じてしまいます。こんな私にこれからどう生きるか何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。
A 少し長くなりますが。旧約聖書にヨブ記というのがあります。悪いことなど何もしていないのに悪魔のささやきによって神に酷いことをされるヨブという人の話です。誰よりも神を信じていたのに散々な目にあわされたヨブはとうとう神にキレます。
「滅びよ、わたしが生まれた日」
キレたヨブに友人というのが何人もあらわれて「お前それは違う、神が間違うはずがない、間違えているのだとしたらそれはお前だ」というような薄っぺらな正論をいいます。「大変だけどもっと大変な人はいるよ、仕方がないじゃないか、病気になってよかったこともあるでしょ」とかいうあれ。
しかしヨブは偉いから「うるせぇ黙れ」とそんなことは聞き入れません。この話、挙句は神が出てきて「おいこらお前、わたしに文句があるようだがわたしは神だぞ」と圧力をかけてきます。
ヨブは引き下がります。神が姿をあらわしてまでいうのなら引き下がるしかない。あきらめた。信心をやめますというのでもない。ここはおそらく重要です。神を神としたままわかりました悔い改めますと突然ヨブは引くのです。神よりずっとヨブが世界の仕組みを悟ったように。悟ったのでしょう。
『おれに聞くの?』(平凡社)山下澄人 著
神はヨブを慰め施しをします。付け足しのように羊何頭、らくだ何頭、金やら綺麗な娘やらだとか書いてあります。具体的に書く必要があったのでしょうがわたしにはつまらない蛇足に思えます。津波の後でいくら穏やかな顔を見せても前のようには海を見ることはできませんが穏やかな海はやはり素敵ですというようなことか。
2000年以上前に人間はこの話を書いた、そしてそれを多くの人間が読んできた。神というものを何より信心しようとした人々がです。ヨブ記には酷い仕打ちとしての試しの後の慰めと施しが書いてあるだけです。試した理由は悪魔のささやき。ばかみたいな理由、要するに理由がない。まさにわたしたちが生きている世界のように思えます。ちなみにわたしは何信者でもありません。がんばりましょう。







