2013年12月に刊行され、日本では無名だった「アドラー心理学」をわかりやすく解説した『嫌われる勇気』。刊行から10年を経て、いまや国内291万部のベスト&ロングセラーになりました。哲人と青年の対話形式で、衝撃的とも言えるアドラーの教えを紹介した同書は、老若男女あらゆる層の読者に影響を与え続けています。なかでも特に反響が大きいのが10代~20代の若い読者の皆さんです。
そうしたなか、『嫌われる勇気』を読んだ東京都立成瀬高等学校の図書委員会の生徒の方々から、著者である岸見一郎氏にインタビューの依頼がありました。岸見氏も快諾され、まさに哲人と青年たちのリアル対話が実現したのです。その白熱のやり取りを3回に分けてお届けします。第3回は人の「進化や退化」「絶望と希望」についての考え、そして高校生に贈るメッセージなど。
(東京都立成瀬高等学校の図書委員会報「木馬」No.110掲載「作家訪問」より)
アドラー心理学を学んだきっかけ
司会(生徒G) 三人ほどまだ質問があるそうなので、いいでしょうか。まずは、I君。
生徒I(2年) アドラー心理学を学ぼうとした経緯は何ですか?
岸見一郎(以下、岸見) 子育てです。子どもが二人います。子育ては大変です。親の言うことを「はいはい」と聞くような子どもであれば、親は苦労はしない。皆さんどうでしたか? いつも「はいはい」と親に従っていたわけではないはずです。そういう子どもと関わっていくことは、非常に大変なことです。子育てのことについて私は全然知らなかった。自分が親から受けた子育ての仕方を、見よう見まねで子どもに実践しようとしていた。当然、行き詰まるわけです。そういう時に、アドラーの心理学に出会いました。
アドラー心理学は、対人関係を扱う心理学なので、子どもとの関係をどのようにすればいいのかということを、かなり具体的に教えてくれます。そのアドラーの心理学を知ったことで、子どもとの関係がかなり良くなりました。一晩で解決するようなものではない、でも、「子どもは叱らなければいけない」とか「ほめて育てる」とか、世間の常識的な考え方しか知らなかったのに、「大人と子どもは対等である」、「叱らない」、「ほめない」ということを教えるアドラー心理学に、衝撃を受けました。それが、アドラー心理学に出会い、その後も学び続けているきっかけです。
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。アドラー心理学の新しい古典となった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』執筆後は、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』『幸福の哲学』などがある。
生徒I(2年) ありがとうございました。
生徒J(3年) 先生は「なにかしら、日々進化している」とおっしゃっていましたが、哲学では時代によって「進化」というものがあるのかな、と思ったのですが……。
岸見 アドラー自身は、「人生は進化である」という言い方をします。この場合の「人生」というのは「歴史」と考えていいと思いますが、これは実際、そうです。劣った状態がより優れた状態に「進化」していくとアドラーは考えています。ただ、私自身は「人生」も「歴史」も、「進化」ととらえなくていいと考えています。もっといえば、「退化」しているかもしれません。しかし、少なくとも変化はしています。
同じところに止まるわけではない。同じ状態がずっと続くわけではないし、必ず変化をしているけれども、それが「進化」なのか「退化」なのかは、必ずしも自明ではない。我々は、これまでの「歴史」を振り返った時に、「進化」という観点で見ない方がいいと思います。それから、「人生」についても、「退化」しているかもしれない。皆さんは若いので、いろんなことができると思っているでしょう。こういう状態がずっと続くでしょう。でも、若い人でも、病気で倒れ、身体を自由に動かせなくなるということはありえます。皆さんのご両親も今はお若いでしょうけれども、やがて歳を重ね、病気にもなられ、今は自分でされているでしょうが、やがて介護が必要になるかもしれない。
では、人は皆、「退化」していくのかというと、そうでもない。その時々に、唯一はっきりしていることがあって、それはどんな人生の段階にあっても我々が生きている、ということです。だから、そこに注目しよう、注目したい、というのが私の考え方です。どんなふうに生きているのであれ、それに「進化」とか「退化」とかいう価値判断をしないということです。
どういう状況に置かれた、どういう人であっても、自分が生きているということに価値があると考えてほしい。そのように考えた時に、私自身は「人生は進化である」と考えない方がいいと思います。前の方を歩いている人もいれば、後ろの方を歩いている人もいる。こう考えても、後ろの方を歩いているのは駄目だというようなイメージを与えてしまうことになりますが、いろいろな生き方があってもいいのです。その時々で、違う生き方も価値がある、と考える。そして、人類の歴史についても同じように考えています。
哲学についても、「進化」というものはないと私は考えています。自然科学であれば日進月歩であり、新しい知見が次々に明らかにされていきますが、哲学については「最前線」というようなものを考える必要はありません。私の専門は紀元前5世紀のプラトン哲学ですが、プラトンは昔の人だから価値はないとは思いません。
生徒J(3年) ありがとうございました。
人はなぜ「絶望」するのか?
生徒K(3年) 僕は『絶望から希望へ──悩める若者と哲学者の“幸福”をめぐる対話』(岸見一郎著)という本を読みました。この本の中には「人生皆、誰もが絶望したことがある」と書いてあったのですが、僕自身は「絶望」という感覚がよくわからなかったので、「絶望」とは何なのかを教えていただきたいです。
岸見 冬の寒さを経験したことがない人に、夏の暑い最中に冬の寒さはこのようなものだと教えることは非常に困難であるのと同様に、絶望したことがない人に、絶望を説明するのは非常に難しい。
「絶望」という言葉の響きは非常に重いですが、自分がしたいと思っていたことが、思いがけずできなくなるということが、人生ではあります。
昔の話ですが、東京大学の入試が中止になった年があります。学生運動が盛んだった時のことです。東京大学を目指して、小学生ぐらいの時から受験勉強していたのに、今年は受験ができない、となった時に絶望した人はいたでしょう。それは、自分が願っていた人生を歩めなくなったということに対する不安であったり、そんなはずではなかったという意外な思いをした、そういったことも、「絶望」に含めて考えていいと思います。
そういう経験はないですか? あるいは、誰か好きな人に告白してみたところ、あなたを異性として意識したことがなかったというような、思いがけない痛烈な言葉で返されてしまうというような時に、「絶望」という言葉は少し重すぎるかもしれませんが、自分の思っていた、思い描いていたような人生に、行く手を遮ることが起きてしまった。その時に、「絶望」するということです。こういう感覚でわかるでしょうか?
生徒K(3年) なんとなくわかりました。
岸見 そういう経験が、今まであまりないのですね?
生徒K(3年) 僕はもう部活はやめてしまったのですが、2年生の頃は部活をやっていて、その時は陸上部だったのですが、タイムがどうしても伸びなかったりすることがありました。怪我とかもありまして、自分のタイムが思うように行かなかった時期が、一年ぐらい続いたのです。その時がかなりきつかったので、それと似たような感覚なのかなと思ったのですが、どうでしょう?
岸見 それに似ていると思いますね。ただ、「絶望に止まらなかった」ということが、大事なことですね。思うような記録が出せないということがあったからといって、生きる気力を失ってしまうような感覚を持たれなかったのですね。
生徒K(3年) はい。
岸見 それに代わることを見つけられたかもしれないし、例えば、陸上ではなくて別のことにもっと力を入れてみようと考えられる人がいたら、それが貴校のホームページで見たのですが、Think Positive、ポジティブに考えよ、ということの意味です。
我々がその「絶望」をすることで、何を「目的」にしているのか。「絶望」の「目的」は何か。今日の話のテーマの一つなのですが、「絶望することで、人生を前向きに生きないでおこう」、これが絶望することの「目的」なのです。ですから、同じ出来事を経験しても、皆が「絶望」するわけではない。これが非常に私は大事なポイントだと思うのです。
だから、そんなふうに自分の夢だったことが実現できなかった時、それで「絶望」してうちひしがれ、落ち込んでしまって前を向いて生きられない人がいる一方で、皆がそうではない。「おそらく絶望した経験がないのではないか」という言い方をしてしまいましたが、絶望した経験があっても、その経験を「まぁいいか」という言葉が適当かはわかりませんが、その経験をバネに、また違う新しい人生を生きる勇気を持たれたということだと思いました。今のお話を聞いてね。
生徒K(3年) はい。わかりました。ありがとうございました。
「今を生きる」ことの大切さ
司会(生徒G) たくさん、質問に答えていただきありがとうございました。質問は以上になります。先生から何かございますか?
岸見 振り返ると、高校生活の三年間は重要だったと思います。歳を重ねると、あの頃と違って、今はまだ7月なのに年末のことを考えている。あっという間に一年という時間が過ぎ去るという感覚を大人は持ってしまう。でも、皆さんはそうではないのではありませんか? 私自身、振り返った時、たったの三年だったことに驚きます。長く生きてきましたが、その三年間の密度は他の人生のどの時期よりも濃かったと思います。そこで、いろいろな先生にも出会いました。大切な友人にも出会えました。
「この三年間はもはや取り返しがつかない」と言うと否定的ですね。でも、一度失ったら、元には戻れません。そういう意味では、この三年間を充実したものにしてほしい。ですから、この三年間を人生の一つのステップにしないでほしい。大学進学するための通過点として見ないで欲しい。
この三年間でしか学べないことがたくさんあります。もちろん、受験勉強は大事ですけれども、受験勉強をするためにだけ、この三年間を過ごす、というのではあまりにもったいない。この三年間に、受験勉強もしてほしいですし、もしかしたら、(東京都立成瀬高等学校の)先生方にとってはあまり言ってほしくないと思われるかもしれませんが、本をたくさん読んでください。映画もドラマも見てください。そういうことを通じて、「人生とは何か」ということを学べると思います。
今日は哲学の話から始めましたが、本当に人生にはまだまだ、知らないことがたくさんあります。そういうことを、溢れるばかりのエネルギーを持って知的な関心を持って、学んでください。そういうふうに考えて、あっという間に三年間過ぎるというのであれば、もちろん、それはいいことだと思いますし、今日出来ることを精一杯してください。
よく本の中で私が書いている言葉ですが、「今日という日を、今日という日のためだけに使う」。そんなことはできないと言われるかもしれない。でも、今日できることはあります。先のことを考えたら、絶望したり不安になることは多々ある。今日は1年生から3年生の方がおられますが、受験を目前にしたら、ただ不安しかないと思っている人も多いかもしれない。でも、不安を感じても、何も意味がありません。不安に感じるのは、勉強するのをやめようという決心を後押しするためです。
不安を感じている暇があれば、今日できることをする。結果は誰にもわかりません。今日できる最善のことを少しずつして行けば、振り返れば、次のところまで来たな、と思えますし、その日々の努力が報われる。きっと報われると思う。
そういう生きるヒントになることを、今日の話からつかんで、答えは出ないかもしれないですが、「こんなふうに考えることができるかもしれない」ということを、少しでも学んでもらえたとしたら、嬉しいです。ありがとうございました。
司会(生徒G) ありがとうございます。不安を感じる必要がないというのは、私は今、3年なので、受験するんですけれど。受験するわけではない2年生、1年生にも刺さる言葉なのではないかなと、思いました。あと、私たちに質問とか……あれば。
岸見 今、生きていてよかったと思う瞬間はありますか?
生徒F(2年) 私が生きていてよかった、と思える瞬間は、私は空想が好きなので、布団にくるまって、少し自分の匂いを嗅いで、落ち着いた時に、ちょっと空想の世界に入って、空想の世界の友達と話して、そのまま空想の世界に入ったまま眠りにつく瞬間、そんな瞬間が好きです。
岸見 いいですね。今の話を聞いて思ったのですが、幸福の瞬間は、そんなふうに訪れますね。何か大きな課題を達成した時に感じるようなものではなくてね、日常生活の中でふいに訪れる。ちょっとしたその日の楽しみを楽しみとして感じられるような、そういうことが、これからの人生で大事になってくると思います。
これからの人生で、本当に、生きるのがつらくなることが起こります。自分が願っていた仕事に就けたとしても、毎日「すごく幸せ」とふうに感じられるかというと、そうではない。もし、そういうことがあった時に、先ほどのような楽しみがあるのは大事です。もしも、そんな瞬間を持てないような過酷な状況に置かれ、仕事をしているのに少しも幸福でないと感じられるようであれば、それは仕事の仕方に改善の余地があると考えた方がいい。我々は決して、仕事をするために生きるわけではないのです。
これは皆さん、まだそんな自覚がないかもしれませんが、日常にふいに訪れる瞬間に、ちょっとした喜びを日々の生活の中で見出せるかどうかが、自分が今、していることが意味のあることかどうかを判断する大きな手がかりになります。そういうことを基準に、今の人生を……「評価」というのはおかしいですね、この人生でいいのかということを考える一つの基準として考えてみるといいと思います。
生徒F(2年) ありがとうございます。
司会(生徒G) そろそろ時間になりました。終わりの挨拶をお願いします。
生徒H(3年) 改めて、本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。本日のインタビューで、これからの人生について考えるとても良い機会になったと思いました。僕が今回、一番印象に思ったことは、「この高校三年間を人生の踏み台にしてほしくない」ということです。そんなふうに考えたことがなかったので、とても印象に残りました。本当にありがとうございました。
岸見 ありがとうございました。
生徒一同 ありがとうございました。
(「哲人と高校生の対話(3)」終わり)