2016年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの奇跡』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの奇跡Photo: Adobe Stock

自分が「光っている人」になれば、明るい人が集まってくる

 おもしろいことに、人に対して「変われ、変われ」と言う人ほど、笑わない、暗い人が多いように思えます。

「世の中のここが悪いじゃないか、ここが暗いじゃないか、ここが理不尽じゃないか」と言っている人ほど、暗くなってきて、笑わない。

「暗い社会じゃないか」と言っている人ほど、本人が暗い。社会を勝手に評価・論評し、問題点を指摘している人ほど、「暗くなっている」ように私には見えます。

「世の中を暗い暗いと嘆くよりみずから光ってその闇照らせ」

 これは、私が、自分自身に言い聞かせている言葉です。

 その人が「光」だったら、その人のまわりには闇はないでしょう。論評する暇があったら、まず、自分が「光」になることです。「自分がどう光るか」を考えるといい。

 世の中の暗さを指摘して、糾弾している人ほど、笑顔がなく、暗さを投げかけているのかもしれません。早くそれに気づくことです。

「光」という文字は、「人」の頭の上から5方向へ、「明かり(火)」が発している様子が元になった象形文字です。

「光」がどういう人の頭から発しているのかというと、「明るい人」の頭から発しています。

 真っ暗闇の中で「明るい言葉を発する人」と、「愚痴や泣き言ばかり言っている人」を比べてみると、光り方が違います。明るい言葉を言っている人は、頭から光を発しているようです。

 ニッコリ笑って「ありがとう」と言うと、ぼうっと、あたりが明るくなったような気がします。

「観光」という言葉があります。この言葉は、海や山のような景勝地へ行くときに用いられます。

 観光の語源は、中国の『易経』といわれていますが、私は「仏像などから出ている光を観る」という意味で用いられていたと考えています。

 仏画にはよく「後光」が描かれていますが、昔は仏像の光を観るために、各地の神社や仏閣をまわった人もいたようです。

「光」の元になっているのが、「人」というのは、すごいことです。そして、光を発している人のことを、「明るい」と呼んだ。

 古代の人は、「光を発している明るい人」と、「光を吸収する暗い人」を見分けることができたらしい。「陰気な人」のことを「暗い人」と表現したのは、その人が「光」を発していなかったからでしょう。

「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ツイてる」という肯定的な言葉を口にしている人は、その人がそこにいるだけで、光を発するので「明るい」。そしてその光は、暗い人を照らして明るくするのです。

「光」とは、「人」が光ることによって、まわりの人や環境を、明るく照らしてあげることです。光を発している人のまわりには「明るい人」が集まり、明るさを宇宙に投げかけているようです。