アフリカからやってきた新メンバーは日本語をほとんど話せなかったが、青山ともうひとりの日本人は英語が得意だったので、社内のコミュニケーションは英語になった。ちなみに、給料などの待遇は日本人と差をつけない。困っている人を雇ってあげるのではなく、ひとりの戦力と捉えて雇用する。それは決して、温情ではない。

「日本に逃れてきている人たちは母国でなにかしらの活動を積極的にしてきた人が多いので、頭もいいし、人脈もあるし、コミュニケーション能力も高い人が多いんです。そのうえで、日本での生活がかかっているので、覚悟が違います。なにかやることはないかといつも聞いてくれるし、自分で調べて、どんどん進めてくれるので頼もしいですよ。日本の新卒の学生に名刺の渡し方から教えるのとは、まったく違いますね」

商店街で中古パソコンを手売り

それぞれが作業に慣れれば、回収と分解のスピードは上がる。3人になって、ひと月の売り上げは数十万円に達した。しかし、ひとつ、無視できない課題が浮き彫りになった。それは、「分解の作業が、単純作業の連続で面白くない」ということだった。

「1日、2日はいいけれど、1年間、これを続けたら病む」と実感した青山は、起業から1年後、方向転換を決める。それまで回収してきたパソコンのうち3割ほどはまだ真新しく、ちょっとした故障で動かなくなっていた。少し手直しするだけで新品同様に動くことがわかったため、「ecoパソコン」として売り出すことにしたのだ。

最初の数カ月、大手のECモールで販売を始めたところ、すぐに行き詰まった。年間何百万台と売っている大手業者がいて価格競争が激しく、まったく勝負にならなかった。そこで2019年2月頃から、商店街の空きスペースを1週間ほど借り、手売りすることにした。青山ともうひとりの日本人スタッフが担当したが、ふたりとも誰かに直接モノを売ること自体が初めてだった。

商店街の空きスペースでecoパソコンを販売したとき(写真提供:青山氏)
商店街の空きスペースでecoパソコンを販売したとき(写真提供:青山氏)

青山には、忘れられないふたり組がいる。手売りを始めて間もない頃、新小岩駅の商店街でストリート系のジュエリーを売っていた男たちで、ひとりは40代、もうひとりは20代に見えた。彼らに声を掛けられると、通行人は男女問わずかなりの確率で商品を見始め、数分後には財布を開いていた。

ふたりの存在に気づいたのは、青山自身が声をかけられ、自然と足を止めたからだ。「これは絶対テクニックがある!」と確信した青山は、ふたりに事情を話し、「どうやってやるんですか? 教えてください」と頭を下げた。