イカゲームは「デスゲーム系作品」ではない

まずはゲームの内容だ。日本のデスゲーム系作品の多くは、子供の頃にやるような遊びやカードゲームなどをベースに、トリッキーなルールをちょい足しして、それを主人公たちがハックして攻略することがストーリーのベースになる。

ギャンブル漫画として有名な『賭博黙示録カイジ』の "限定ジャンケン(グー、チョキ、パーのカードを用い、それぞれの手を出せる回数を限定したことで戦略性を高めたジャンケン)ゲーム" を筆頭に、日本のデスゲーム系作品の多くは最初に説明されるルールの裏をかいて勝利をつかむことが面白さの原動力になっていた。

そうした作品においては、天才的な頭脳を持つキャラクターや、悪魔的なまでに心理戦に長けたキャラクターが活躍し、主人公陣営をピンチに追い込んだり、最後に大逆転させたりすることで物語が進んでいく。

しかし、イカゲームに登場するものは、どれも拍子抜けするほどに子供の遊び "そのまま" である。タイトルにもなっている 「イカゲーム」は、第1話冒頭と最終話で凝った説明パートがあるにも関わらず、その後に繰り広げられるのは至極単純な殴り合いだ。

いわゆる "デスゲームあるある" とも言える超人的な頭脳バトルの要素は、作中通してほぼ見受けられない。唯一、主人公の幼馴染として登場するサンウというキャラクターが「ソウル大学経済学部主席合格」という肩書で登場する。ゲーム中の彼は確かに優秀ではあるが、いわゆる普通の人間の範囲を超える頭脳を持っているわけではない。

そのかわり作中で時間をかけて描かれるのは、参加者一人ひとりの人物背景であり、裏切りに至るまでの心情だ。イカゲームにおけるゲームは、最終話で黒幕が問いかける「まだ人を信じるか?」というメッセージを執拗(しつよう)に表現するための舞台装置に過ぎず、ゲーム自体が物語を転がしているわけではないのである。

 

この前提を踏まえて改めて物語をふかんしてみると、イカゲームは世界で最も知られている "あるストーリー" の型をなぞらえて作られていることに気付く。

それは裏切りによって死を迎え、数日後に復活を遂げる、ある男のストーリー。そう、イカゲームはイエス・キリストの復活を暗喩した物語になっていると筆者は考える。

ゲーム会場は外界から隔離された "地獄"

最初のゲーム「だるまさんが転んだ」が繰り広げられた運動場は晴天のように見える高い壁に囲まれているが、場所自体は外の世界から隔離されており、ゲーム会場は地下奥深くにあることが示される。つまり、イカゲームの世界は "地獄" であるということが示されるのだ。