なによりも子どもたちが「夢中」になることを大切にしていて、『信長の野望』(現・コーエーテクモゲームスが展開する歴史ゲームシリーズ)など自身が学びになると認めたゲームをもっと続けたいという理由であれば、学校を休むことすら許した。

テレビにスポーツ、ファッションの話題ばかり──高校に幻滅して中退

宝槻と父親とのエピソードはほかにも挙げればきりがないが、忘れがたいのは、自宅に訪ねてきた父親の友人たちとの交流だ。父親は客を家に呼ぶのが好きで、しょっちゅう知らない大人が家にいた。そのなかには大学教授やマジシャン、芥川賞作家もいれば、道端で知り合ったという外国人もいた。

「子どもからしたら、レジェンドみたいなおじさんがたくさんいました。そういう人たちと接しているうちにレジェンドのことを特別に意識しなくなって、平凡な人間になるのはイヤだ、俺もスペシャルな人間になろうと思っていました(笑)」

はたから見れば特殊な環境ながら、充実した子ども時代を過ごした宝槻が初めて挫折を味わったのは中学2年生の時だ。成績が良く、スポーツも得意で、「女の子にモテモテ」だった栃木の中学から宮崎に引っ越すと、転校先では不良たちが幅を利かせていた。そこで評価されるのは腕っぷし。優等生タイプの宝槻のヒエラルキーはがた落ちし、卒業まで辛酸をなめた。だから、不良とオサラバできる高校生活を楽しみにしていたのに、高校は期待外れだった。

「僕が高校に抱いていたのは、『坂の上の雲』に出てくる大学予備門みたいな、自由闊達でやる気にメラメラと燃えていて、人生を熱く語り合うイメージでした。でも、実際はテレビとスポーツ、ファッションと音楽の話題ばかりで、二言目には『めんどくせぇ』『だりぃ』とみんな言っていて、求めていたものと違いすぎましたね」

学校は管理型で校則にうるさく、恋愛も禁止。あらゆることに幻滅した宝槻は、高校1年の2学期、「高校を辞めたい」と両親に相談。父親は「いいよ」と即答した。

バーで過ごした青春時代

こうして高校2年に進級するタイミングで退学した宝槻は、父親の縁で知り合った地元の年上の先輩に連れられて、バーに通うようになった。そこは20代の若者が集う店で、名門進学校を退学した17歳の宝槻は、思いのほかかわいがられた。

週に3、4回はバーに足を運び、帰宅時間も遅かったから、父親から「今日も行くのか!」「何時に帰ってきてるんだ!」と叱られることもあった。それでも、バーに集う仲間たちに会いに行った。

ある日の夜。両親が寝静まったのを見計らって、こっそりと家を出た。原付バイクにそっとカギを差し込み、手で押す。家の前でエンジンをかけたら、その音で親が目を覚ますかもしれない。300メートルほど離れたところでエンジンをかけ、原付バイクにまたがると、グッとアクセルをふかした。夜風を切って走るのが気持ちよかった。