「本を書いてスターになってやろう!」

20歳の時、宝槻はこれまでの自分の歩みを記そうと本を書き始めた。従来の詰め込み型の学校教育への不満がベースにあり、高校を中退しても京大に一発合格した自分の経験、合格に導いた父親のメソッドなどを記そうと考えた。本腰を入れて執筆するために、大学を1年休学した。この時は「本を書いてデビューして、スターになってやろう!」と考えていたそうだ。

しかし、思ったように筆が進まない。何度も書き直しているうちに、完全に行き詰まった。不甲斐ない自分に腹を立てていたら、同じタイミングで長く付き合っていた彼女にフラれた。それで精神的にノックアウトされた宝槻は、栃木県にあるお寺を訪ねた。そのお寺の住職とは家族ぐるみで仲良くしていて、京大に合格した時には京都まで訪ねてきて、一緒にお寺を回るような関係だった。

宝槻にとって、住職は「人生の師匠」。いつも通りに自分を迎えてくれた住職と一緒にお風呂に入りながら事情を話し、「弟子入りさせてください。ここで修行させてください」と頭を下げた。そうでもしないと、今の情けない自分から立ち直ることができないと思い詰めていた。すると、住職は宝槻を見つめ、穏やかに言った。

「寒蝉(かんせん) 枯木(こぼく)を抱き 鳴き尽して 頭を回らせず」

これは、「時期外れだとしても、蝉はただ鳴き尽くす。ただ一生懸命に鳴き、天分を全うする」という意味の言葉だ。住職に「心から納得できる道を行け。余計なことは考えるな」と言われた宝槻は、風呂場で号泣。「自分の道を突き進むしかない」と京都に戻って復学した。本を書くのではなく、自分の血肉となった探究型の学習を広めることを決意。その第一歩としてひとり暮らししていたアパートで塾を開き、教育関係の学生団体を設立するなど精力的に動いた。

そして、2005年に大学を卒業するとすぐに上京して起業したのである。八王子の高校で出前授業を請け負いながら、オンライン化に失敗して窮地に立たされたのは冒頭に記した通り。その後も、順風満帆にはいかなかった。

 

職業訓練校で開いた、大人も変える熱血講義

2009年、結婚して子どもが生まれたばかりなのに稼ぎを失った宝槻を救ったのは、ひとりの友人だった。職業訓練校を立ち上げようとしていた経営者を紹介してくれたのだ。

その経営者と意気投合し、できたばかりの職業訓練校で、コミュニケーション力を高める講習、パソコンを使った情報教習などを手掛ける「社会人基礎訓練」を請け負った。とはいえ経験ゼロなので、経営コンサルティング会社に勤める友人にノウハウを教えてもらって、講義をアレンジした。