南アフリカ、ブラジル、ロシアと3度のW杯に出場し、全ての大会でゴールとアシストをマークした37歳の本田圭佑が新たな野望を抱いている。無所属となって2年以上が経過している状況ながら、2024年中に「選手」として復帰すると明言したのだ。ただし、移籍先に求める条件としては「『意味の分からん指導者と戦術』はNG」「ワンシーズン通してプレーしない」など多岐にわたる項目を掲げた。実績は超一流ながら、新天地への“注文”も多い元日本代表のカリスマを必要とするクラブは現れるのか。(ノンフィクションライター 藤江直人)
2年以上ものブランクを超えて
本田圭佑はプロ選手に戻れる?
所属するクラブがない状態になって、すでに2年以上もの時間が経過している。その間には左膝の手術も受けた。それでも本田圭佑は「引退という概念が、自分にはないんですよね」と笑う。
独特のイズムが表れたのが2023年末。ガンバ大阪ジュニアユースの先輩で、日本代表でも共闘したMF橋本英郎さんの引退試合の開催3日前に、本田の参加がガンバから急きょ発表されたときだった。
元選手の引退試合に本田が参加するのは、実は初めてだった。ただ、それ以上に注目を集めたのが自身のX(旧ツイッター)へのポスト。同時に参加が決まった家長昭博(川崎フロンターレ)に「選手」が付いていたのに対して、自身には「氏」が付けられた表記への反応だった。
「アキが選手で僕は氏」
誕生日が同じ1986年6月13日の37歳で、中学生時代にはガンバのジュニアユースで切磋琢磨(せっさたくま)した家長を、親愛の念を込めて「アキ」と呼ぶ文末には、考え込む絵文字も添えられていた。
アスリートに対して「氏」や「さん」が付けられるときは、一般的に引退している場合が多い。リトアニアのスードゥヴァ・マリヤンポレを退団した21年11月を最後に、前述したように無所属が続いていた本田への呼称に対して、ガンバが苦慮した跡が伝わってくる。
もっとも、当の本田は橋本さんの引退試合後にこんな言葉を残している。
「これぐらいの人数の前でプレーするのは(膝を手術してからは)初めてかもしれないですね。最近はボールを蹴る回数は減っているけど、トレーニングの量はあまり減らしていない。来年(24年)のどこかで復帰を目指すに当たっては、ボールに触れる量もどこかで増やしていかないといけない。それをどのへんから調整していくか。来年の冬明けてからどのタイミングで、どこの国のどこのクラブで、というのを、幾つか候補を自分の中では的を絞っているつもりではあるので」
2年以上ものブランクを超えて、24年中に「選手」に戻ると宣言したのだ。脳裏にはどのようなプランが描かれているのか。それを探る前に、本田のキャリアをあらためて振り返りたい。