Jリーグ復帰の意思はなく
「意味の分からん指導者」もNG
「選択肢には入っていますけど、あまりそこにはこだわっていないですね。国としては、アフリカに行くとしたらああいうところかな、みたいな目星は幾つか付いていますけど」
Jリーグ復帰を問われるたびにノーと答えてきた本田は、いまも「変わっていないですね」と笑う。
「日本はたまに帰ってくるといい空気だなと思うので、今後もそうさせてほしいです」
海外で初めてプレーしたフェンローが2部へ降格した08年夏。本田は浦和レッズから届いたオファーに断りを入れて、2部での戦いを優先させた。独特の矜持を過去にはこう語っている。
「日本には僕がいなくても頑張っている選手が大勢いる。みんなで頑張れる日本はちょっと窮屈だし、海外の大男たちとけんかしたい日本人もいるわけです。そこへ刺激を求めていく日本人が何人かはいないといけないというところで、職種にかかわらず僕たちの役割分担があるのかな、と」
ならば新天地にはどのような基準を設けているのか。本田はこんな考えを明かしている。
「めちゃくちゃ(レベルが)高いところでのプレーを選ぶ、という選択肢は自分には別にないんですね。どちらかというと、自分のやりたい場所で、やりたいタイミングでやれるクラブがあるか、ですよね。いまさら意味の分からん指導者と戦術の下で1シーズンやるのかといっても、そんなに金も要らんし、そこじゃない。例えば満員のスタジアムで、レベルが下がったとしてもすごく熱狂的な場所で、何かヒリヒリするようなものが得られるのであれば短い期間でもそこで、という感じですね」
レベルも報酬も度外視し、その上で心の底からサッカーを楽しめるかどうか、といった条件を設定。後はクラブ選びや調整を含めた交渉の全てを、代理人を務める実兄の弘幸氏に任せている。
「ワンシーズンをプレーするとはあまり考えていない。でも、そんなヤツはいままでいなかったから、クラブ側がどのような契約をすればいいのか、条件面でもいろいろと複雑になってくる。こちらがちょっと移籍させてください、みたいなことを言いながらも、めちゃめちゃな条件を要求してくる、といった話になってきますからね。こちらも『何でもやります』というわけじゃないので」