脱会して十年以上たったころのある体験を竹迫は話してくれた。

「教会の階段を降りていたところ、3段ぐらい踏み外して落ちちゃった。その拍子に左足を3カ所も骨折してしまったんです。そのとき、とっさに霊の祟りではないかと発想が浮かんできた。典型的なカルト後遺症です」

 悪いことが起こると、その説明を求めてしまう。竹迫は統一教会を脱会して37年になるが、いまだにそういう瞬間があるという。

「何か不運な目にあったときに、自分に悪いところがあったからではないかと、その原因を追求したくなるものですね。その祟りから逃れるために何かしなくてはいけないという強烈な衝動がわいてくる。私は、マインドコントロール自体は解けているのは間違いないとは思うのですが、けれども後遺症として残っている」

被害者どころか支援者にすら
独善と映ったオウム元死刑囚

 さて、嘉浩にカルト後遺症はあったのだろうか。フォトジャーナリストで『宗教事件の内側 精神を呪縛される人びと』や『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュース」の論理』などの著書がある藤田庄市は「独善的な修行者意識」という言葉で、嘉浩の後遺症を言い表した。

 藤田が注目したのは、目黒公証役場事件で父親を失った仮谷実と嘉浩とのやり取りだった。嘉浩は「亡くなった人たちのことを考えて、できるだけ苦しみを自分に課していきたい」と謝罪したのに対し、仮谷は「被告が苦しんでも、私たちは助からない」と返し、「自らに苦しみを課しても遺族の救済にならない」と突き放した。

「独善的な」とは、修行を続けることにより、人間性も宗教的にも世間より高いところにいるという意識である。

「井上君は麻原教祖とは対決して、『オウムを脱会する』と宣言はしているのだけれども、考え方であるとか、独善的な修行者意識というものは残っていたのではないか。脱会したからといって、カルト思考、カルト的考え方は簡単にはなくならない」と藤田は指摘している。

 平野も嘉浩にカルト後遺症を感じていたという。