この整理の結果、最大の問題が業務過多にあることが仮説として浮上しました。次にその仮説を裏付けるために、過去20年間の組織の数と職員の数の推移を調べてもらいました。その結果、20年前には全部で82課・室だったのが、いまでは108課・室に増えていることがわかりました。一方で職員の数は2000人ほど減っていることがわかりました。人が減っていて課・室が増えているのですから業務過多になるのは当然です。仮説が立証されました。
こういった流れが、インプットされているものを「整理する」ということになります。実践を繰り返すことで自分の武器となります。
忖度ではなく「自分軸」を持つ
自分はどうしたいのか?
自分軸を持つということは、すべてにおいて基本中の基本だと思います。あなたはどうしたいかと問われて「意見がない」という人が多いことに驚かされます。すべてのことに自分軸を持てとまでは言いません。せめて自分がやっていることに対しては自分軸を持っていないと、気くばりに至りません。AIには自分軸がありません。AIほどの情報量と処理能力がない以上、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』の中で警告しているUseless Class(無用者階級)になってしまいます。
私たちは小学生の頃から、国語の試験の中で作者の意図を書きなさい、と問われ続けています。「作者の意図することを書きなさい、あなただったらどうしますか」という二段構成ならばいいのですが、その過程がなく忖度で終わってしまっていることが多いように思います。これは中途半端な忖度の力を鍛えているように思えてなりません。会社において、社長に忖度する、上司に忖度する温床ではないかとさえ思います。
忖度すること自体はホスピタリティでもあるので悪いことではありませんが、過度に忖度となると自分軸がなくなってしまいます。意図的に、「自分ならどうする」という自分軸を持ちましょう。
私たち日本人は、日本語の文法上、文末でメッセージトーンを変えることができます。「Aであるべきだ」と断言するところを、周囲の様子から「Aという可能性もある」というように表現をぼかすことができるのです。これをやっていると自分軸が弱くなります。そうならないためには、意識して最初に結論を言う、結論を書くというトレーニングが有効です。
気くばりをするうえでも、まず自分の意思が大事、自分軸がないと気くばりもできません。