私が最初に意味づけを実践し始めたのは、マーサージャパンの社長の最後の2年間です。毎日がアメリカのマーサー本社との戦いだったのです。とあることをきっかけに親会社の幹部が変わり、それに伴いマーサーの本社の方針がガラッと変わってしまいました。アメリカ流を押し付けられるようになりました。日本の視点から取捨選択して抵抗しました。毎朝走るようになったのもこのときからです。起床すると本社から“とんでもない”メールが入っていることが多く、走らないとやってられなかったのです。
あるとき、これは自分に対する修行であると思うようになりました。インド人のコーチとの対話から気づきました。そこから不思議と歯をくいしばらなくても走れるようになりました。
つらいことに遭遇するたびに「これは修行である」。そう思うようになりました。パスという会社のCEOをやったときは、想像を絶する統制不能事態のオンパレードでしたが、すべて修行と思うことで、それなりにこなせました。
「この新幹線に乗らなければいけないのに、乗り遅れてしまった」というときには、これに乗っていたら事故に遭ったとか、乗らなかったことによって何か別のことも起きるのだ、と思うようになりました。
自分が思ったように展開しなかったときには、そこに、必ず意味があるというふうに思うようにしているのです。思いがけない事態への感謝です。
