これを受けて世論はすっかり「松本氏の遊び方は褒められたものではない」という見方が大半となった(ように筆者には見える)。
そして文春が、松本氏の好みの女性を記した「指示書」について報じると、関連ニュースに触れてきた人たちの生理的嫌悪感がいよいよ極まってきて、特に女性から「気持ち悪い」といった評が多く聞かれるようになってきた。
えてして男性の性欲への執着や欲望のあり方というのは、可視化すれば目も当てられないような有り様のものであるが、そこへの同情票があまり見受けられないのは、この世論の趨勢と「松本氏が女性への加害の可能性も含めながら、欲望を権力によって叶えてきた(かもしれない)」という点を、世間が極めて悪質と判断しているからであろう。
なお、ここ最近では、準備していた記事を順次リリースしていく文春に対して、Xで数件の投稿をしたものの、ほぼ沈黙を貫くに等しい松本氏が文春に打たれ放題の様相を呈していて、吉本興業も「確認を進める」と一転して弱気だし、すっかり文春有利の雲行きであり、「”強要”はあった」ことをほぼ既定路線にして話を進める人も出てきているようである。
男性が大目に見られる風潮に
変化の兆しあり
女性の権利の向上と無関係でないと思うが、近年女性の間で、「男性の不貞行為を大目に見ず、きちんと咎めていこう、違和感を発信していこう」という考え方がかつてより一段階深く、じんわりと広まってきている向きがある。
筆者はフェミニストではないが、女性の不倫が責められがちなのに対し、男性の不倫は笑って済まされたり、時には武勇伝的として語られたりしかねないという、その扱いの差を見るにつけ、アンバランスさはどうしても感じていた。男女では性欲のあり方が違う(ことが多いとされてきた)から、それを汲んだ上で生まれ、そして維持されてきたやむなきアンバランスさ、と見ることもできるのかもしれないし、「それは男権社会の身勝手な産物に過ぎない」という指摘にも道理を感じる。