24番を空けて待つ。この球団の決意は、慎太郎の心に深く響き続けていました。絶対に甲子園のグラウンドに帰る!そのためなら、どんな苦しい治療でも乗り越えてみせると。

 最初に抗がん剤治療を受けた時、慎太郎はとてもはりきっていたように思います。

 一方、私のほうは怖くてたまりませんでした。抗がん剤の副作用の辛さ、ひどさは多くの人が語っています。倦怠感や吐き気で何もできず、横たわることしかできないといいます。

 いったいどうなってしまうんだろう。息子は耐えられるだろうか。できることならそんな治療はしたくない。けれど、再発させないためにはやるしかない……。

 1度目の投与は何事もなく過ぎましたが、2度目以降はやはり強い副作用が出始め、さすがの慎太郎も動けなくなってしまいました。投与された当日などはまったく力が入らず、ただ吐き気に耐えながら、ベッドにいることしかできません。私は隣で体をさすり、「大丈夫、大丈夫。良くなるから、良くなるから」と、またブツブツと呪文のように繰り返していました。

家族の支え、不変の愛
強い絆に支えられた息子

 3度目の投与が終わった頃、洗面所で慎太郎が「あ!」と叫んだので、私は慌ててドアを開けました。手に大量の髪の毛がくっついていて、息子は口をあんぐり開けてそれを見ています。

「あ、抜けたんだね」

 私はショックを隠しながら明るく言いました。

「うん……」

 抜けるだろうとは分かっていたものの、こんなに一度に大量に……とは思っていなかった様子で、慎太郎は茫然としたまま動けずにいました。

「いいじゃないの、慎太郎ずっと坊主だったし」

「野球部とコレとはわけが違うでしょ」

「一緒、一緒!髪なんかすぐ生えてくるわよ」

「他人事だよね」

 私があまり大事に取り上げないので、慎太郎はムッとしています。その顔を見て思わず笑いました。

「笑い事じゃないんですけど」

「ごめん、ごめん」

 笑おう、笑おう。自分に言い聞かせました。私には何もできない。傍にいることしかできない。ただ触れてやることしかできない。できることなら、息子の苦しみを半分でいいからもらいたい。一緒に背負ってやりたい。この現実から二人で一緒に逃げ出したい。それが叶わないなら笑おう、笑おう。