駅のホームで椅子に座る女性写真はイメージです Photo:PIXTA

周囲から一目置かれる高学歴にもかかわらず、職場に適応できずドロップアウトしていく者はすくなくない。彼ら彼女らの「こんなはずじゃなかった」は、いったいどこから来るのだろうか。※本稿は、姫野 桂『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書)の一部を抜粋・編集したものです。

疎外された小中時代の反動で
高校時代はモテをひたすら追求

 青山学院大学の文学部を卒業して現在は金融系の企業に勤めている高松恵理子さん(26歳)はADHD(注意欠如・多動症)の診断が降りている。もともとコミュニケーションが苦手で幼い頃から友達がいなかった。そのため読書ばかりしていたら本が好きになり、文学部に進学した。

 高松さんにADHDの診断が降りたのは取材からちょうど1年前の25歳のときだった。それまでは自分の生きづらさの正体が分からず生きてきた。

「小中高とエスカレーター式の学校だったので、結構ゆるっとした環境の校風だったんです。それで、夏休みの宿題なんかを3年間出さなかったり。すぐに定期や鍵を失くしていたのである日、母から鍵に鈴をつけられました。カバンの中にあって探っていたら鈴が鳴って見つかるので」

「最も悩んでいたことは、小学生の頃、周りには運動ができたり、おもしろい話ができたりする人がいたのに、私はどれにも当てはまらなくて、一人も友達がいなかったことです。誰かと話をするときにはかなりの労力を使って頑張っていました」

「人気の若手俳優の話なんかで周りがキャーキャー言っているのがわからなかったので、週刊誌やネットでその俳優さんの情報を探して1枚の紙にまとめて、誰かと仲良くなるための材料にしていました。こうやって用意をしておかないと会話できなかったんです」

 他人から求められる経験がなかったことへの反動で、高校生の頃には「モテたい」という気持ちが膨らみすぎたために『荒療治』をしたという。

「誰かと恋愛するためにはそもそも一緒にいて楽しいと思ってもらう必要があります。そのためには会話をする必要があると考えたんです。それに私はもともと太っていて友達もいなかったので、ダイエットして20kgくらい痩せました」。

「そうしたら異性に声をかけられるようになったのですが、誰かが近づいてくるということがすごい喜びだったんです。その喜びを持続させたい、その喜びを増やしたいという思いがモテたいという思いに繋がって」