「母の言葉が刷り込まれていて、あんまり自分の意志がないんです。自分より相手の顔色を過度に見てしまうとか、小学校の通信簿にも『友達に気を遣いすぎです』と書かれていたり。自分が透明なんですよね。見えないというか、もうひとりの自分が自分を操作しているみたいな」
「処理速度が早いとか、新しい分野の学習が苦じゃなかったり、事実に基づいた議論が好きだったので自分にマッチしていると感じたのと、人気もある業種で周囲からも認めてもらえると思って、就活の最初の頃はコンサルばかり受けていました。でも、第一志望の会社に最終面接で落ちてしまって。あれこれ迷った挙句、成長しているベンチャー企業に入社することになりました」
周りの大人のアドバイスを
真に受けすぎた末の適応障害
新卒で入った会社は早々に退職し、人材関連の仕事に就いたものの、経営に不安を覚えて再度転職を考え、金融業の仕事をしている。高松さんは現在26歳だが、既に今の会社は3社目だ。
「学生時代はいわゆる『意識高い系』と言われるような感じで、有名な会社や勢いのあるベンチャー企業でインターンをしたり、そういう人が集まるコミュニティ的なところにいて。今思うとバカなんですけど、当時はそういうのが世界のすべてだと思っていました。私自身は本当はビジネスに関心がないし、出世したいという欲もないし、あまり大金が欲しいというわけではなかったので」
「大人たちは『選択肢があったら大変なほうを選んだほうがいいよ』とか言うじゃないですか。そういう言葉を真に受けて、私は自分が想像しうる限りの一番困難な選択肢を選ぼうとしていたんです。文字通りに受け取りすぎなのか、真面目過ぎるのかよくわからないんですけど、新しいものに目がいきがちで多動でした」
転職を繰り返したことで理想の職場に出会うことができたのかと思いきや、曖昧なことが多く、アドレナリンも出ない現在の仕事に苦しんでいるという。この職場で思ったように仕事ができずに適応障害を起こしたことが、発達障害であることが発覚したきっかけとなった。