刊行10周年を迎えた世界的ベスト&ロングセラー『嫌われる勇気』。日本ではあまり知られていなかったアドラー心理学の教えを、哲人と青年の刺激的な対話を通じて解説し、読者から圧倒的な支持を受けています。このたび10年の節目を記念して、著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が対談をおこないました。
2024年2月時点で『嫌われる勇気』の国内部数は296万部、さらに世界中で翻訳刊行もされておりその累計部数は1000万部超。異例の大快挙を成し遂げた岸見氏と古賀氏は、この10年をどう振り返るのでしょうか。第2回は「社会の変化」に焦点をあてて語り合います。(構成/森川紗名)
時代に選ばれた『嫌われる勇気』
──『嫌われる勇気』がこれほどのベスト&ロングセラーになったことが、この10年の社会の変化に何らかの影響を与えたと感じることはありますか?
古賀史健(以下、古賀) 『嫌われる勇気』の影響があったかどうかは分かりませんが、世の中全体で、より素直に、より率直に個人の幸せを追求する流れが生まれてきているように感じます。
ライター/編集者
1973年福岡生まれ。株式会社バトンズ代表。これまでに80冊以上の書籍で構成・ライティングを担当し、数多くのベストセラーを手掛ける。20代の終わりに『アドラー心理学入門』(岸見一郎著)に大きな感銘を受け、10年越しで『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』の「勇気の二部作」を岸見氏と共著で刊行。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』『取材・執筆・推敲』『さみしい夜にはペンを持て』などがある。
岸見一郎(以下、岸見) ああ、それは私も感じているところです。
古賀 僕が岸見先生の『アドラー心理学入門』を読んだ1990年代から2000年代にかけては、「心の闇」に注目が集まった時代だったように思うんです。たとえば犯罪者の心の暗い部分を解き明かして人間理解に至るといった、いわゆる「原因論」にもとづく発想が支配的でした。
それが2010年代の中頃でしょうか。「今、ここ」に意識を向けようとする「マインドフルネス」の考え方が支持されるようになった。過去に囚われず、現在地をゼロとして、これからの幸せを考える「目的論」的発想に変わっていったんですね。『嫌われる勇気』やアドラーの考えも、そんな時代の空気をつくる一助になったのかなと思います。
──たしかに一時期、トラウマなどをテーマにした小説や映画など、人の内面に注目するコンテンツが大いに流行りましたが、最近は減っている気がしますね。
古賀 先月の朝日新聞に掲載された、精神科医の斎藤環さんへのインタビュー記事にも似た視点が書かれていました。「いわゆる天才の姿が、昔と今とでは違ってきている」との主張が興味深かったです。
曰く、昔は「トラウマや苦労を乗り越えて成功を手にする」といった、天才の狂気やダークサイドを描いたストーリーが好まれていた。けれど大谷翔平さんや藤井聡太さんといった現代のヒーローたちは、ダークな面を誇張することなく、ただ純粋に高みに登ろうとしている。そのまっすぐなエピソードだけでストーリーが成立するのが今なのだと。
岸見 時代の流れを感じますね。「叱る、叱らない」の価値観も、この10年で大きく変わりました。『嫌われる勇気』を出版する前は、講演で「アドラーは『叱ってはいけない』と説きます」と話すと、「いやいやいや、今の自分があるのは叱ってくれた上司のおかげだ」と反論する方々がたくさんいました。けれど最近ではめっきり会わなくなりました。
古賀 昔はむしろ、「叱らないとまずい」みたいな空気があったくらいでしたよね。
岸見 ええ。今では手放しで叱っていいと考える人がほんとうに少なくなった。そういう時代の流れに『嫌われる勇気』がシンクロしたのでしょう。
古賀 もしも20年、30年前に出版していたとしたら、今ほど受け入れられなかったかもしれない。やっぱり、『嫌われる勇気』は「時代に選ばれた」のだと思います。
SNS全盛時代の大きな柱に
古賀 そういえば『嫌われる勇気』の出版後、すぐに飛びついてくれたのはインフルエンサーの人たちだったんですよね。ちょうどあのころ、ソーシャルメディアでの発信が当たり前になった反面、人間関係がより複雑になった。飛び交う言葉に傷つくことも増えてきた。そんな時代を生き抜く指針として『嫌われる勇気』は大きな柱になった気がします。
岸見 具体的には「人からどう思われるかを気にしなくていい」「嫌われることを恐れず、自分の人生を生きればいい」というアドラーの考え方が共感を呼んだのでしょう。これらの言葉に触れて「前から私もこう考えていた」と心を強くした人は多かったと思います。
うまく言葉にできないモヤモヤの輪郭をはっきりつかむためには、やはり本が必要だと思います。『嫌われる勇気』は、「なるほど!」と膝を打つような経験を多くの人に提供できたからこそ、圧倒的な支持を得たのだと思います。
人びとの心を掴んだ“念仏の教え”のようなタイトル
岸見 アドラーの教えが世の中の人びとに広く知れわたり、受け入れられた理由のひとつに、タイトルの妙があると考えています。というのも、『嫌われる勇気』というタイトル。あれは「念仏の教え」のようなものだと思うのです。
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。アドラー心理学の新しい古典となった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(共著・古賀史健)執筆後は、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』『幸福の哲学』などがある。
──念仏の教え……!? どういうことでしょう。
岸見 『嫌われる勇気』を読んでいなくても、タイトルだけを知っている人は多いわけです。その様子がどうも法然上人が広めた念仏の教えに似ているなと。
古賀 ああ、なるほど。わかる気がします。
岸見 法然上人は万巻の経典を読み込んで「阿弥陀仏の名を唱えつづければ浄土に行ける」との一文に出合い、念仏の教えを広めました。「南無阿弥陀仏と唱えるだけでいい」。そのシンプルな教義は多くの人の心をつかみ、膨大な経典を読んでいない人であっても「南無阿弥陀仏」と唱えられるようになったのです。
私と古賀さんもアドラーが残した万巻の書を読み、彼の考え方をシンプルにして世に伝えようとしました。そして、アドラーの考え方を極限まで煮詰めたような言葉を編集者の柿内芳文さんが考えてタイトルに掲げた。そのことが、広くたくさんの人に届く要因になったと思います。
古賀 タイトルに込められた、本全体に通底するメッセージに励まされた人は、国内外問わず多かったでしょうね。
岸見 はい。『嫌われる勇気』では、「ひとりの力は大きい」との言葉を哲人が語っています。そういう意味では私たちの本にも、意外に世の中を変えうる力がある。現在進行形で「変えつつある」と私は思っています。
(次回につづく)