みどりや仏壇店 代表取締役 吉川和毅さん Photo by Yasuhiro Hamasakiみどりや仏壇店 代表取締役 吉川和毅さん Photo by Yasuhiro Hamasaki

白鳳14年から1300年以上の歴史を持つ仏壇。大切な人と心を通わせ、前を向いて生きていくために、人々は仏壇と向き合ってきた。みどりや仏壇店(福岡県福岡市)は、仏壇・仏具の販売で150年以上続く老舗だ。5代目の吉川和毅さんは、「お客さまの目的は、仏壇を買うことではなく、故人を偲び、供養をすること」と語る。そんな仏壇の世界で繰り広げられるDXとビジネスモデルの変革、その挑戦を取材した。(ノンフィクションライター 酒井真弓)

仏壇業界の黄金時代は1970年代後半~80年代
バブル崩壊の誤算から、改革が始まった

 福岡は中洲川端商店街の入り口にある、みどりや仏壇店。明治6年創業、150年以上続く老舗だ。店に足を踏み入れた瞬間、お線香の深い香り。「仏壇のことは分からなくて当然です。仏壇なら俺はもう3回買(こ)うたけんね、なんて人はまずいないから」。そう言って笑顔で迎えてくれたのは、5代目の吉川和毅さんだ。

 吉川さんは、インターネットが普及する前の1990年代前半から、ソフトウェア技術者として働いていた。国立天文台ハワイ観測所にある「すばる望遠鏡」の制御ソフトや、初期のカメラ付き携帯電話の開発にも携わったという。

 家業の仏壇店を継いだのは、兄だった。酔ってこんな話をしたのを覚えている。「俺は好きなことをさせてもらってるけど、兄貴はいいの?」「うん、俺は仏壇屋が天職だと思っているから」「お言葉に甘えさせていただきます(拝)」。

 そんな兄が体調を崩し、吉川さんが常務としてみどりや仏壇店に戻ったのは、2001年のこと。仏壇の売上は、じわじわと低下していた。

 仏壇業界の黄金期は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた1970年代後半から80年代。人々の暮らしが豊かになり、ご先祖様の家を考える余裕が出始めたのがこの頃だ。バブル直前の1985年には、みどりや仏壇店も1日に1000万円売り上げた日があったという。これが永遠に続くはずだった。

「昔は、『30年続いた仏壇店は未来永劫続く』と言われていました。何年かに一度自動車を買い替えるのと同じように、仏壇も30~50年で新しくするか、お洗濯といって、新品同様に直す習わしでした。要は、買い替えやメンテナンスでビジネスが継続できたというわけです。それが、いざ継いでみたら『なんじゃこら』という」