輪廻転生を肯定しなければ
現在の自分を理解できない

 いろいろと述べてきましたが、僕がなぜ、輪廻転生を肯定するのかをおさらいしたいと思います。

 肯定しなければ、自分の性格、今の環境、境遇などによって形成された現在の自分が理解できません。

 人間が転生しないという考えは実に不自然です。もし、転生がなければ、すべての人間が平等であるということになります。この社会で、人間が不平等であるということ自体が、輪廻を肯定する証拠です。数限りない輪廻を繰り返しながら、人間は修行するのです。

 したがって、人間は未完のままで生まれて、完成を目指して今生を生きるのですが、大半が未完のまま生涯を終えます。そして、死後、あちらの世界で修行をしながら、再びこの地上に転生するときまで向こうで待機するのです。

書影『死後を生きる生き方』(集英社新書)『死後を生きる生き方』(集英社新書)
横尾忠則 著

 そのうえで、前世とはまったく異なる人格、性別、時代、国を選んで転生します。それも魂の意思に従います。生まれる以前に自分の両親を決めて生まれるわけですが、その時点ですでに宿命も定められています。だけど、生誕と同時に、その記憶は消えます。それからはその人の運命に従って、あらゆる境遇に直面します。運命に従うのも、運命に抗うのもすべてがその者の自由意志によります。だから、生まれる前からすでにその者の人生はおおよそ設計されていたはずですが、約束された宿命を無視して、大半の者は自由意志の運命に振り回されてしまいます。

 つまり、魂が宿命の記憶を持っている者のみが、生前に定められた人生を全うします。そして、輪廻転生の最終回では、その者は不退転者となって、輪廻の輪から脱却して、二度と地球には転生しません。すべてのカルマを解消した者のみが永遠の生を受けるのです。

 以上が、僕の輪廻転生に対する考え方です。