死後の世界で孤独になるかどうかは、その人によりけりです。それは、その人がどう生きたかで判定されるわけですから。自分の中で、何かを探究するとか、研究するとか、そういうことを常に求めて、そのために一生を捧げる。芸術家は、そういうことの中から、創造を通して自然に霊性が生まれてくるわけです。

抱えた業をきれいさっぱりと
捨て去るまで輪廻転生は続く

 ここで一つ、なぜ輪廻転生があるのかという、僕なりの想像をしてみたいと思います。

 輪廻というのは、人間の魂が次から次へと別の肉体へ移っていくことです。転生をする必要がなくなるまで、輪廻を繰り返していきます。人間の一生という一回性の時間の中で、その人が完全に完成すれば、それ以上転生も輪廻も必要ないはずです。でも、実際は、ざっと百年足らずの人生の中で、一人の人間が完成するのはなかなか難しいと思うんです。だから、完成するまで、何度も何度も輪廻転生を繰り返します。

 では、どうして、一生の時間の中で人間は完成しないんでしょうか。

 人間はいろいろと行動したり、思念したり、言葉を繰り返すことによって、その都度、業を積んでいきます。前に触れたように、業というのはカルマとも言います。生きているということは、カルマを積むことでもあります。行動や思念を支配する要素として、人間のさまざまな欲望によって、心に重荷を積んでいきます。

 でも、一方で、この業を吐き出す行為も行っています。吐き出すということは、業を軽くしていくことです。捨てることです。そして、いつか、抱えた業をきれいさっぱりと捨て去ることができれば、その人は、もう再び転生も輪廻もしません。もう二度と、この現世に生まれ変わってくることはありません。つまり、不退転、涅槃の境地に入るのです。

 人によりますが、不退転者になるまで百回、二百回の転生を繰り返し、ときにはもっと多くの輪廻によって、やっと不退転に到達するのです。そのために、我々はそれこそ気が遠くなるほどの時間の中で、死んだり、生まれ変わったりしているのです。