リーダーに倫理性は必要か否か
そこで、リーダーに倫理性が必要かどうか、「必要」と「必要なし」の両方の議論が展開される。
「必要あり」の意見は、以下のようなものになる。
リーダーは、部下や社会に対して模範を示す役割を担っている。個人としての行動が倫理的であれば、その行動が他者に良い影響を与え、組織内にポジティブな行動基準を設定することができる。また、リーダーの公私にわたる一貫した倫理的行動は、組織全体に波及し、会社としても倫理的に整合性の高い行動を実現できる。もし公的な行動と私生活の間で倫理観に乖離があることを許容すると、二重基準を容認することになって、組織内に一貫した行動基準を浸透させられない、といった意見だ。
一方、「必要なし」論者は、リーダーはリーダーとして任された仕事において成果を出せばよいのであり、違法行為は許容できないものの、それ以外であれば重要視すべきでないという。そもそも論として、リーダーの私生活は個人的なものであり、会社の業務とは別に扱われるべきだともいう。また、これこそが問題の核心なのだが、倫理性に問題のない人は、なぜ問題がないかというと、大きな挑戦をせず、窮地に追い込まれたことがなかったからだともいえるのである。これからは、明らかに混迷の時代であり、そのような安全パイの人をリーダーにすると、ジリ貧になって組織が生き残れないという。
倫理性と実力者を併存させる折衷案
いずれの意見もそれなりに一理あるといえるだろう。そこで両者の意見の間をとった対策として、折衷案が採用される例が多くなってきた。それは、裏と表のリーダーを据えるというケースだ。
表看板のリーダーには、一般受けする見栄えの良さと如才ない話術を持ち、かつ身辺が「清潔」で誠実な印象を与える危険性のない人を任命する。明らかな広告塔、お飾りといってもよい。そして、その裏で、実権は酸いも甘いも知り尽くしている百戦錬磨の実力者が握るというものだ。
このような宮廷ドラマによくあるリーダーシップのパターンは、権限と責任の所在が不明確になるため、米国型リーダーシップが席巻したこの四半世紀は避けるべきこととして否定されてきた。しかし、昨今の状況を鑑みるに、これからはこうした役割分担のパターンが再び増加することになるだろう。
混迷が深まり、問題の多発する時代である。その傾向はますます加速している。
リスクマネジメントを本業とする私の立場からは、倫理的リーダーの出現を望ましいとは思う。しかしながら、倫理性の高さと常人を超える発信力を併せ持つリーダーがめったにいないこともまた事実のように思える。組織はこの両面において秀でた、可能性のあるリーダー候補を、より早く発見し、育成していくことがこれから特に重要になるだろう。
(敬称略)
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)