人の口に戸は立てられない、情報の拡散は止められない
新型コロナウイルスの感染拡大を契機にYouTubeなどで、発信力のある識者やYouTuberたちが自由に情報を発信し、そこではマスメディアでは扱われない人物評価の情報も提供されるようになった。個人のSNS等の発信も、面白いネタであれば、情報が拡散され、あっという間に世間の知るところとなる。かつてのようにマスメディアを金と力で統制しても、隠匿したい情報の拡散を防げない。さらには、確度の高いタレコミ情報が有力週刊誌に寄せられ、記事にされたら、その真偽はともかく、一巻の終わりである。
だから、近年は、リーダーの選定に当たって、人間性についても入念に評価すべきであるという意見が強くなってきた。発信力があったとしても、リスクの発現によるダメージを考えると、問題の起こる可能性の高い人をリーダーにするのはやめておくべきだというわけである。しかしながら、歴史をさかのぼると、大業を成した多くのリーダーが、倫理面で問題を抱えていたといわれる。
例えば、古代ローマの英雄・ジュリアス・シーザーは、私生活においては多くの愛人を持って放蕩(ほうとう)生活を送っており、そのプライベートな生活で生じる問題は、当時の社会規範においてもしばしば批判の対象となった。フランスの皇帝・ナポレオン・ボナパルトもヨーロッパの多くを征服したが、彼の私生活には浮気や権力への激しい執着が見られた。英雄色を好む、といわれるが、色だけならまだましな方で、常人の発想の枠にとらわれることがないだけに、それ以外にもさまざまな問題を引き起こすのである。
現代でも、会社の資金を私的に利用し、世界各地の不動産を自分のために購入するような経営トップもいれば、意思決定に関与する重要な立場にありながら、コンサルティングと称して賄賂を受け取るような人物もいる。あえて社員に派閥を作らせ、派閥対抗で業績を競わせ、そのうえに胡坐をかいて私的にも懐を肥やす社長もいる。このようなことが行われていれば、昔ならばともかく、現代社会で情報の外部流出を防ぐのは不可能だ。