マーケットは戦争終結を予期していた?「平和株」が終戦間際に上昇したワケ『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第63回は、株式市場への当局の「介入」の歴史をたどる。

新人記者時代によく聞いた「隠語」

 投資部の長老格のOBは合宿の夜、戦時中の株式市場と投資部の活動について語る。戦時中の株式相場は堅調で投資成果は上々だったが、その裏では、国民の戦意高揚のため、政府が株式市場に介入していたという歴史が語られる。

 私が新人記者として株式市場の担当になったのは1995年。最高値を更新する今とは真逆の「冬の時代」だった。当時、よく耳にした隠語が「PKO」だった。Price Keeping Operationの略で、無論、元ネタは自衛隊の平和維持活動だ。

 PKOの正体は公的年金の買いという見方がもっぱらで、午前に株価が急落して午後に持ち直すと、市場参加者は「公的のPKOが入った」と口をそろえたものだった。

 当時は銀行が大量の持ち合い株を抱え、株式相場の下落は保有株の含み損拡大、ひいてはそれが不良債権処理の足かせになりかねなかった。真偽不明のPKOがまことしやかに囁かれたのは「実害」に政官財ともに敏感だったからだろう。

 その後も銀行保有株の買い取りや日銀による大量のETF(上場投資信託)買い入れなど、日本の当局はたびたび株式市場の買い支え策に手を染めてきた。

 作中でOBが語るように、当局主導の株式市場操作は戦中にも行われた。面白いのは「買い」だけでなく「売り」の介入もあったことだ。投機ブームが盛り上がりすぎると国民が気もそぞろとなるし、資本家や投機家が濡れ手に粟の利益を上げているという批判も起きかねない。戦況が良い間は「売り介入」で相場の過熱を防いでいたという。

「平和株」はなぜ上昇したのか?

漫画インベスターZ 8巻P29『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク

 戦況が悪化してからはそんな余裕はなくなり、介入は買い支えに傾いていく。最終局面では無制限買い入れまで踏み込んだ。

 1945年3月10日の東京大空襲の後、パニックを恐れた政府は上場全銘柄に対して空襲前日の9日終値を下限とする無制限の買い支えを決めた。無茶な話だが、実際には効果をあげた。敗色濃厚のなかでも、軍需銘柄の株価でさえ3月9日終値でピタリと横ばいを保ったのだ。

 さらに興味深いのは原爆投下で市場が閉鎖される少し前から、一部の銘柄の株価が上昇を始めていたこと。繊維やビールといった戦争終結に需要の増加が見込まれる企業が「平和株」として人気を集めはじめたのだ。マーケットのたくましさとダイナミズムを感じるエピソードだ。

 この辺りの事情は、金融史研究家でファンドマネジャーの平山賢一氏とのYouTube企画「金融史探偵団」で詳しく取り上げた。関心のある方はご覧いただきたい。

 戦時ではないが、私自身が市場のダイナミズムを実感したのは2011年3月の東日本大震災だった。発生時、私は兜町のど真ん中、東証の裏の雑居ビルで原稿を書いていた。激しい揺れを机の下に潜り込んでしのいだ。

 揺れが収まり、情報端末を見ると、ゼネコンの株価が一斉に急騰していた。取引終了までの十数分の間に、マーケットはもう復興需要を先読みして動いていたのだ。

 終戦間際の平和株買いや震災時のゼネコン株急騰には「国難にあって相場で金儲けとは」と眉をひそめる人もいるだろう。だが私は、個々の投資家の私欲の先に、片時も休まず働き続ける「見えざる手」の深遠な影を感じる。

漫画インベスターZ 8巻P30『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク
漫画インベスターZ 8巻P31『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク