日本で最も注目された事業承継の一つといってもいいジャパネットたかた(現ジャパネットホールディングス)のケースでは、父から息子へとどのように経営のバトンが引き継がれたのだろうか。連載『「事業承継」イノベーションが企業を救う』第3回では、今だから話せる親子の本音から、当時の試行錯誤を振り返る。(取材・文/フリーライター 東野りか ダイヤモンド・ライフ編集部)
性格も経営のタイプも違う父と息子は
衝突を繰り返した
2016年1月15日、最後の「テレビショッピング」出演――。ジャパネットたかた前社長の髙田明は、「歌って楽しくお別れしたい」と、最後の紹介商品であるカラオケで「北国の春」と「高校三年生」を歌った。
スタジオに集まった300人ものスタッフや取引先の人たちが見守る中、朗らかな歌声を披露。涙を流すスタッフも多い中、当の本人はニコニコしていた。最後に「皆さんさようなら!」と声高に叫んで、番組は幕を下ろす。明は「すがすがしい気分だった」と、番組引退の日を回想する。
創業者の髙田明自らがテレビに出演し、家電などの商品を肥筑方言混じりで販売したことで一躍有名になった、ジャパネットたかた。テレビショッピングを開始した1994年は43.1億円だった売り上げが右肩上がりに伸び、2010年には1759億円を達成。その後2年間はテレビの買い替え需要の反動で減収になったものの、15年に長男の髙田旭人が二代目社長に就任すると、父とは違う経営路線を展開し、2022年2487億円を記録する(2016年からグループ連結決算)。
創業者の明と二代目社長の旭人は、性格も経営のタイプも違う。2人が一緒に働いていた頃は何度も激しい議論を戦わせたという。しかし、明は息子に社長職を譲った後、会長には残らず完全に引退。事業承継では先代が会社に残って後継者と並走することが多い中、珍しいケースといえる。
今回、髙田明と旭人の2人に詳しく話を聞くことができた。当時のエピソードからは、世の経営者が直面するであろう事業承継の「壁」や、その打開策についてのヒントを読み解くことができる。