息子は後継者にふさわしいか……
常に仕事ぶりを見て、考える
当時米国に留学中だった旭人は、事件が起こった時たまたま免許の書き換えのために日本に一時帰国していた。羽田空港で母からの電話を受け、驚いて会社に駆け付ける。
社長の明は「なぜこんな事件が起こったのか、原因を究明して問題を解決するのが最大の優先事項」と、社員たちで調査委員会を結成し、さまざまな情報の分析を行った。それを知った旭人が「手伝いたい」と申し出たのだ。
「こちらもマンパワーが必要だったので『じゃあ手伝って』と応じて、そのまま旭人は入社しました。私も妻も頼もしい味方が増えたと喜びましたよ」(明)
窮地に立たされていたこともあり、親というより、経営の立場として旭人を歓迎したというのが本音のようだ。「数学が得意」な旭人も加わり、調査委員会を含めた皆の努力で問題解決にたどり着き、危機から脱出した。
当初の想定より早く入社した旭人を、明は次々と要職に就かせる。最初は本人の「会社のことを知りたい」という希望もあって社長室に、1年後には販売とメディアの部署に配属した。
旭人にさまざまな部署を経験させる中で、明の頭の中には「事業承継」の文字が出てくるようになった。「経営者なら誰でも考えていること」(明)だが、そこには、「会社を存続させ、何千人という社員を守っていかなければいけない」という使命感があった。
本人にこそ言わなかったが、その仕事ぶりを見ていく中で息子も有力な後継者候補の一人となった。
「でも、旭人がこの会社を継ぐのにふさわしい力を持っているか、人が付いていく人間力があるかどうかは、常に見て、考えるようにしていました。事業を承継するのは、自分や家族のためではなく、社員のためですから」(明)
そのためにも、皆を統率する責任者として経験を積ませる必要があった。しかし明は、ずっとそばに付いて指導したわけではない。基本的には、旭人のやり方に任せ、見守る立場を取った。