「将来、店を継ぐ」が幼少期からの口癖
ジャパネットたかたは、明の父親が長崎県平戸市で経営していた「カメラのたかた」から1986年に独立し、「たかた」として佐世保市で設立した会社が前身だ。
当時のたかたは町の小さなカメラ店といった素朴な雰囲気で、旭人は、店の暗室で写真の現像をしていた父母の姿を鮮明に覚えている。
「父は4つのカメラ店を経営していて、そのうちの1つが通学路の途中にあったので『おまえんちの店だろ?』などと友達にいじられたものです(笑)。それでも全然嫌な気がしなかったし、父と店員さんの仲が良くて、その空気感がいいなあと思っていました。父と母を喜ばせたかったので、『将来自分が店を継ぐ』と度々言っていた記憶があります」(旭人)
旭人は両親からほとんど怒られた記憶がなく、忙しい商家でも家庭内は円満だった。一方の明は「息子が小さい頃は、店を継がせるかどうか考える余裕はなかったし、経営術のようなものを教えたこともない」という。
福岡の中高一貫校から東京大学に進学した旭人は、卒業後の2002年に野村證券に入社。金融業界を選んだのは、「家業を継ぐのに、金融の知識が役に立つだろう」と考えたからだ。中でも「厳しい」と有名だった企業を選んだ。
そこで得たものは大きかった。新人時代から、預かり資産の額や口座開設の数を全国の同期社員と競い合った経験は、今でも生きている。「信頼を勝ち取るには、売り上げ、利益、社員の満足度など、客観的な数字で結果を出すことが大事」と、結果=数字にこだわる理由を話す。
しかし旭人は、2004年に父が社長を務めるジャパネットたかたに入社する。きっかけは、同年に起こった顧客情報漏えい事件だ。
元社員によって51万人分の顧客名簿が持ち出され、個人情報が流出。テレビショッピング開始10年目の節目の年だったが、49日間にわたって全媒体で販売をストップし、結果的にその年の売上予測から150億円の大幅減収となる。創業以来の不祥事に、会社全体が不安に包まれていた。