働く人を大切にし、専門性を育てる職場づくりを

 私は、特別支援学校の教員たちに接して、仕事に本気で向き合う人(教員)たちが、長い時間をかけて専門性を育てていく過程の大切さを実感した。

 ベテラン教員たちは、幼児期から青年期までの12年間の子どもたちの成長に関与した体験を、豊かなエピソードを交えて魅力的な言葉で語る。失敗と成功を繰り返しながら手応えのある知見を得てきたことが、手に取るようにわかる。しかしその一方で、若い教員の多くが、ベテラン教員の力に圧倒され、自分の無力さを突き付けられる経験をしている様子も見てきた。教員たちは、無力感に落ち込んでも、仕事に打ち込み、少しずつでも前進しなければならない。そのためにも、職場は教員それぞれの成長をあたたかく見守る雰囲気がなければならない。

「働き方改革」の荒波は、人を育てる職場に力を与える可能性もあるし、逆にそれを破壊する可能性もある。その方向性を両極端のふたつのシナリオで考えてみたい。

シナリオ1:職場は、短時間で成果を上げる人だけが生き残るような“ジョブ型雇用”に移行し、業務の外部委託、人材の使い捨てが広がる。

シナリオ2:職場は、各自の得意な仕事に集中できるように仕事の切り分けが進み、働く人が相互に助け合いながら協働するかたちに移行する。

「働き方改革」の掛け声とともに、タイムカードや新たな人事評価制度の導入など、「シナリオ1」に流されていきかねない契機が、特別支援学校にもやってきた。「シナリオ1」は、前出の森さんから「お前死ぬって」と言われてしまう状況に教員たちを追い込んでいくシナリオである。「シナリオ2」を実現していくためには、ジョブ型雇用のよいところを採用しながら、メンバーシップ型雇用のよさを残していくことが大切だと思う。

 例えば、人事評価の厳格化は、「シナリオ1」に導く決め手になりえる。降格や減給をちらつかせる人事評価は、虚飾と言い訳を促しているようなものだ。「できなかったこと」を裁くような評価は、とるにたらない成果を業績として過大に言い立てたり、「どうすればできるようになるか」という思考よりも「できなかった理由の正当化」に意識を向かわせたりすることになりがちだからだ。そうなれば、人を育てる職場を破壊しかねない。失敗をたくさんすることも含めて、謙虚に仕事に打ち込む姿が認められる職場でなければ、専門性は育たない。したがって、人事評価は、働いている人が成長したいという気持ちを高めるものでなければならない。「こんな自分になりたい」という気持ちを上司に尊重してもらえていると実感できることや、率直にサポートを求めることのできる人事評価である必要がある。

「シナリオ2」の観点から考えると、管理職の采配も決め手になると思う。苦手な業務や過重な業務について、上司や仲間に助けを求めることができる環境は決定的に重要だ。それに加えて、あまり重要でないと思われる業務に熱中している人がいる場合に、上司が軌道修正を助言することも大切だと思う。仕事を切り分け、得意な仕事、やりたい業務に集中できる環境をつくる、それ以外の業務をカバーし合う関係づくりを進め、必要に応じて業務の外部委託も視野に入れるといった「働き方改革」を進めることができるかどうかが問われている。

 今回は、特別支援学校での私自身の経験を通して、教員の専門性を育てると同時に「働き方改革」を実現していくことの必要について述べた。企業における人材育成の現実とどのくらいオーバーラップするか、私には判断が難しい。しかし、「うまくできない自分」に向き合って、それを乗り越えるという従業員の成長の軌跡を見守ることで、職業人としての専門性とウェルビーイングに貢献しようとしているという点で、私の考えは、企業の経営層・管理職・人事担当者の視点と大きく逸れていないのではないだろうか。

 神戸大学附属特別支援学校長として働かせてもらったこの5年間がなければ、働く人の専門性を高める職場環境の問題も、「働き方改革」も、私には他人事だったにちがいない。夢中に仕事に取り組む教員たちの輝いている姿を愛し、同時にさまざまなことにつまずき悩む子どもたちや教員たちの姿を愛しく感じた日々は、私にとってかけがえのない宝物になるだろう。

挿画/ソノダナオミ