「自由時間の充実」が仕事への活力を生み、個人と企業を成長させていく

学生をはじめとした若者たち(Z世代)はダイバーシティ&インクルージョンの意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業・団体はダイバーシティ&インクルージョンを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第11回をお届けする。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)

* 連載第1回 「生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか」
* 連載第2回 ある社会人学生の“自由な学び”から、私が気づいたいくつかのこと
* 連載第3回 アントレプレナーの誇りと不安――なぜ、彼女はフリーランスになったのか
* 連載第4回 学校や企業内の「橋渡し」役が、これからのダイバーシティ社会を推進する
* 連載第5回 いまとこれから、大学と企業ができる“インクルージョン”は何か?
* 連載第6回 コロナ禍での韓国スタディツアーで、学生と教員の私が気づいたこと
* 連載第7回 孤独と向き合って自分を知った大学生と、これからの社会のありかた
* 連載第8回 ダイバーシティ&インクルージョンに必要な「エンパワメント」と「当事者性」
* 連載第9回 “コミュニケーションと相互理解の壁”を乗り越えて、組織が発展するために
* 連載第10回「あたりまえ」が「あたりまえではない」時代の、学生と大学と企業の姿勢

自由時間が身近になりつつある時代のなかで…

 日々忙しく働いている人にとって、「自由時間」はありがたい。「自由時間」によって、気分がリフレッシュして、また仕事に向かう活力を蓄えることができる。「自由時間」は、一般的に「余暇」とも呼ばれるが、「自由時間」が長くなると、私たちは暇を持て余すようになる。ゴロゴロしていることにさえ疲れてしまう。「長い自由時間を何か有益なことに使おう」という考えも生まれてくる。

 私たちは、そうした自由時間が身近になりつつある時代を生きている。働き方改革は、仕事以外の時間の充実をもたらし、コロナ禍当初に広がった「おうち時間」で、自由時間の新しい使い方や新たな活動を始めた人も多いだろう。

「自由時間」は個々人の意思で使い方を決めることができるものであり、「自由時間」が充実すると、その「質」に変化が生まれる。個々人の意思で取り組む活動は、仕事とは異なる価値を社会にもたらす。例えば、自らの意思で取り組むボランティア活動は、営利活動や行政の活動が取り組みにくい活動領域を開発してきた。自分の時間を使って自らの意思で行う活動は、私たちの人生を豊かにしてくれると同時に、社会に新しい価値をもたらす。今回は、これからの私たちの生活にとって大きな意味を持つ「自由時間」について考えてみようと思う。

 私はアルトサックスを吹く。少人数のバンドを組んでいて、年に2回のジャズライブを行うことがメインの活動である。近隣に騒音の迷惑をかけてはいけないので、家で手軽に楽器に触ることはできない。時間を作り出し、音を出すことのできる場所を探して、ようやく楽器に触ることができる。しかし、時折、長い休みの間など、時間を忘れて楽器と戯れることがある。そのようなとき、私は、サックスを吹くという活動の意味が変わるのを体験する。

 時間を見つけてサックスを吹いている束の間の休息時には、その活動は私自身の満足にのみ意識が向いている。まさにプライベートな活動であり、明日への活力を生み出すリフレッシュのための活動である。しかし、時間を忘れてサックスを楽しめる状況では、聴衆にどのような音楽を届けようかというところに意識が向く。

 かつて、あるバンド仲間が、私たちの取り組む「ライブ」を「発表会」と言い間違えたことがある。私は「発表会」という言葉に違和感をもった。その違和感に、余暇活動としてのサックス演奏を超えようとする私の願いが表れていたのではないかと、思い起こす。「発表会」は、有名なジャズミュージシャンを手本にして、そこに近づけたかを聴衆に披露する意味を含む。聴衆からは「よくできたね」という評価を期待する。つまり、趣味の延長が「発表会」であり、私が「ライブ」という言葉にこだわるのは、集う人と一緒に音楽を楽しむことに価値を置きたいからだ。私たちのジャズバンドが、「ライブ」を提供できているかどうかは怪しいが、音楽をツールとして社会とつながろうとする意識を持つようになっていくことに、自由時間の質的な変化が表れているのだと思う。