コーヒーは「入手困難な贅沢品」に
なるかもしれない

 コーヒー業界には「2050年問題」という言葉が存在しています。2050年までに世界のコーヒーの生産量が半減する危惧があるという、コーヒー党にとっては看過できない大問題です。

 その理由が地球温暖化による気候変動です。コーヒー豆は熱帯から亜熱帯にかけての主に山岳地帯で栽培されます。気温が高いだけでなく、昼夜の寒暖差が必要で、栽培に向いている土地は限られているのです。

 異常気象が起きるとここ数年のベトナムのように不作になるのですが、不作で済んでいるうちはまだいいのかもしれません。というのも気候変動で暑くなりすぎた地域ではコーヒー豆から他の農作物への転作が始まっているのです。

 さて、この先、コーヒー豆の生産が世界全体で激減する一方で、コーヒー愛好家の人口が急増していくとしたらどうなるでしょうか。

 中流にとってコーヒーが今ほど気楽には手に入らない未来がやってくるかもしれません。

 そもそも中流の定義に関しても少し怖しい現象が起きています。世界の統計の基準で年収3万5000ドル以上の世帯を中流と定義することがあります。この定義では推計で西暦2000年頃の中流家庭は世界合計で2億世帯で日本の多くの世帯はこの2億世帯に含まれていました。

 そして2020年には推計で中流世帯の数は世界で4億世帯へと倍増しています。

 一方で円安のせいでこの中流の基準である年収3万5000ドルは日本円では525万円になっています。日本の世帯所得の中央値は423万円ですから、かつての定義では日本人の半数以上がすでに世界基準の中流から転落しています。

 今、インバウンドが増加する中で、インバウンド観光客たちの金銭感覚がわれわれ日本人と大きく異なることが話題になっています。

 彼らが泊まる東京の高級ホテルのラウンジでは、コーヒー1杯が1600円ぐらいはするのです。それをわたしたち日本人は「高いな」と思う一方で、インバウンドの外国人たちは「税前で10ドル?この格のホテルで?それは安いと思うよ」と言うのです。

 それが為替レートが引き起こす一時的なものではなく感覚差が定着する未来がやってきたら?外国人には手軽に手に入るものが日本の庶民には高いという世界が、数年後、十数年後のわたしたちの日常となってしまうとしたらどうでしょうか?

「コーヒーって美味しかったよなあ」

 と高齢者たちが昔を懐かしむようになり、若者たちも

「今日は誕生日だから、コーヒーいっちゃおうか?」

 といった特別な飲み物としてコーヒーを嗜む未来がやってくる。

 そんなリスクが今、わたしたちの目の前にあるかもしれないのです。

 私は一日10杯はコーヒーを飲むコーヒー党です。このリスクを考えるたびに思うことは、やはり「脱炭素を実現したうえでの経済成長」を推進する以外に、よい未来はやってこないのだという事です。

 それを目指して今日もコーヒー片手に頑張りたいと思います。