「ポジティブじゃないと」という
思考の問題点

 確かに、人間は暗示にかかる生き物ですから、小さなことで「わたしは幸せだ」と考えるくせをつけていけば、いつのまにか幸せのオーラがにじみ出て、よい出会いや仕事がまいこんできて、本当に幸せになれる、という好循環もあるのかもしれません。でも、何でもポジティブにとらえようとする態度には問題もあります。

 第一に、現状を肯定的にとらえようとすることで、現実に存在するネガティブな感情を否定してしまうことです。実際はつらい、苦しい、何かおかしい、と感じているのに、「いや、でもこれも考えようによっては幸せなのだ」と無理やり自分にいい聞かせていると、本当の気持ちは言葉にならずに抑圧されてしまいます。ネガティブな感情は大切です。これを認め、立ち止まって考えることで、自分を苦しくさせている出来事について理解したり、同じ状況にある他の人の苦しみを想像したりできるからです。

 第二に、問題があると「ポジティブになる=自分を変える」ことで対応するので、「社会を変える」という発想がなくなってしまうことがあります。シーン(22)のように、問題は上司の態度や多すぎる業務量など職場にあるかもしれないのに、「ポジティブになれない個人の問題」とされ、自己責任として抱えこまされてしまうのです。

 成功した起業家などが好む「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来」という言葉があります。自分のちからで動かせるものに注目していくのは、前向きで効率的なひとつの生き方だとは思います。でも、その背後には、「他人に期待しても無駄、社会は変わらない」というあきらめがあることに、注意が必要です。

 ポジティブに生きようとする個々のあり方を否定したいのではありません。「ポジティブじゃないと」という要請にひとりひとりが応えていくことで、結果的に社会構造を不可視化し、個人の責任にしてしまうという効果を問題にしているのです。