「気が進まない」にもかかわらず「そうしなければ」と思わせてくるもの、それが「同調圧力」。日本は“空気を読む”ということを重要視しがちだが、果たしてそれは本当に必要な行為なのか?気鋭の社会学者が日常にはびこる同調圧力的な言葉の対処法を提言する。本稿は、貴戸理恵『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版)の一部を抜粋・編集したものです。
「自分勝手」も「自己主張」も
“わがまま”と言われる日本
複数人で一緒に行動するとき、お互いに相手の意向を気にして「どうする?」「どうする?」となかなか決まらないことがありますね。もしかしたら心のなかでは「こうしたいな」「あれはイヤだな」と思っている人もいるかもしれませんが、最初は周りの出方をうかがって、注意深くしまいこんでいます。ひとしきり迷ったあとで、だれかが「じゃあ、こうする?」と提案し、「いいね、いいね!」と周りがいえば、決定。これはひとつの儀式のようなものかもしれません。
でも、なかにはそんな儀式に従わず、はっきり自分の意見を主張する人がいます。シーン(10)のEさんは、まさにそういうタイプでしょう。そんなEさんを、他のメンバーは「わがまま」と非難します。何が起こっているのでしょうか。
考えてみると、「わがまま」とは不思議な言葉です。もとは「我」という一人称の代名詞と「まま」という名詞を、助詞「が」がつないでいて、「わたしがわたしとしてある状態」を意味します。語源だけを見ると、必ずしも悪い意味には見えません。そこから「自分の思うままにふるまうこと」が「わがまま」とされるようになりました。
けれどもわたしたちが暮らす社会では、「わがまま」は非難の言葉です。自分の思うままにふるまうと「わがままな人」ということになるので、自分の主張は脇へ置き、周囲の思いをくみ取るふるまいが重視されます。
ただ、自分を押しころしてばかりいると「周りを気にするあまり自己主張ができなくなってしまう」とされ、「もっとわがままになっていい」といわれたりもします。つまりここでは、「自分勝手にふるまう」ことと「自己主張する」ことが、両方とも「わがまま」という言葉で表されているのですね。
「自己主張することはよくない」
という規範の内面化
「自分勝手」と「自己主張」。さて、Eさんはどちらでしょう。重要なのは、Eさんはただ「自分はこうしたい」といっただけで、他のメンバーを強引に引っ張っていったわけではない、ということです。クレープ屋さんはEさんだけでなく他のメンバーにも楽しい可能性のある場ですし、2人も「イヤだといったのに無理に付き合わされた」わけではなく、みずから「一緒に行く」といっています。だから、Eさんの態度は「自己主張」のほうだと考えられます。