言わずと知れた傑作中の傑作、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」。キリスト教的な「博愛、自己犠牲、献身」を描いた物語だが、それだけの話ではないのが名作たるゆえんだろう。同性愛を理由に牢獄に入れられ破滅的な死を遂げた作者のオスカーは、本当は何を伝えたかったのか。本稿は、山本茂喜『大人もときめく国語教科書の名作ガイド』(東洋館出版社)の一部を抜粋・編集したものです。
デカダンス文学の代表者
オスカー・ワイルドの傑作
幸福の王子
ワイルド
「エジプトにはゆかないと思います。死の家にまいります。死は眠りの兄弟ではありませんか?」
そう言って、ツバメは王子のくちびるにキスをして、その足もとに落ちました。それがツバメの最後でした。
その瞬間に、像の中で、まるでなにかがひびわれたような奇妙な音がしました。じつは、なまりの心臓がまっぷたつにわれただけのことですが。たしかに、怖ろしいくらいにひどいひえこみでしたから。
(富山太佳夫訳『幸福な王子』青土社)
昔、まったく不幸を知らない、その名もサンスーシ(無憂宮)に住む王子さまがいました。おつきの人に「幸福の王子」と呼ばれていました。亡くなった後、高い円柱の上に銅像がたてられます。全身は金箔におおわれ、目はサファイア、剣にはルビーがついています。
しかし、高くから街の様子を眺めるようになって初めて、王子には様々な不幸が見えてきました。南に帰ろうとしていたツバメを引き留め、不幸な人たちにルビーを届けるよう頼みます。さらに、自分の目であるサファイアも与えます。
ツバメは、王子の目の代わりになり、貧しく不幸な人々を見つけて知らせます。
とうとう金箔もすべて失った王子。その足もとでツバメは死んでいきます。みすぼらしくなった像は引き倒され、炉で溶かされますが、なまりでできた心臓だけはなぜか溶けません。
神さまに遣わされた天使は、なまりの心臓とツバメの亡骸を天上に運ぶのでした。
「どの作家にも、この一作を書き終えたら死んでもいい、と思う作品があるはずである。もし私がオスカー・ワイルドなら『幸福の王子』はその作品だ」と作家の曽野綾子さんは述べています(『幸福の王子』バジリコ2006)。たしかに「幸福の王子」は、そう言わせるだけの魂のこもった傑作中の傑作だと思います。
ワイルドは、いわゆるデカダンス文学の代表者です。同性愛を理由に牢獄に入れられ、破滅的な死を遂げます。そのような人生を知った上で読むと、このような美しい童話を残したことに深い感慨を覚えずにはいられません。
「幸福の王子」には、様々な貧しい人たちが描かれています。王子は銅像となり、高い円柱の上に立つようになって初めて、そのような人たちの存在に気づきます。