意思のある人に出会うためには、私たちこそ「こういう介護をしたい」「介護ってこういうものだ」という自分にとっての介護とか、「理想の介護をしたい」という意思を持たないと、意思ある人としての利用者に出会うことができない。つまり、介護にならないんだということを伝えています。

使い捨ての労働力だから
介護や保育業界が政治力を持てない

上野 政策決定者たちの間に、自分たちもいずれ介護される側になるという想像力がないんですね。一つは、年寄りや子ども、障害者の処遇はこの程度でいいんだっていう考え方。良心的な施設であればあるほど配置基準に上乗せする人件費が経営を圧迫し、そうなると、受け取るパイが同じだから一人あたりの分配が減る。

 配置基準を上げろという政治力を介護業界も保育業界も持たないのはなぜかというと、はっきり言って使い捨ての労働力だから。その理由は、介護職も保育士も、人のお世話をする仕事は女向きの仕事だと思われてきたからです。

高口 持続可能な介護状況を作るためには、省力化、安全管理。その具体的なやり方として、ICTの導入が必要だというのが今の国の方針ですよね。経営側は、人手不足に対応し、事故を含めて社会的な制裁を受けないようにして、なんとか労働争議を起こさないようにしようとしている。そして、現場ではできるだけ作業効率を上げようとか、事故・苦情を出さないようにしようとしている。

 もちろん、これは悪いことではありません。ICTというのは、そもそも最新機器を使って人と人とのつながりを深めようというものなんだから。悪いことじゃないのにある特養(特別養護老人ホーム)の現場はどんどん悪くなっていったんですよ。これはどう考えればいいんでしょう?

低い報酬設定や無理がある配置基準
条件設定がひどい介護保険

上野 好循環ならいいけども、それがネガティブな循環になっているということね。

 まず、制度設計の初期条件の設定自体が低すぎたと思う。在宅系では訪問介護の報酬設定が低すぎた。しかも生活援助(初期は家事援助)と身体介護の2本立てにして、その間に大きな格差をつけました。

 それだけでも足りなくて、1時間の訪問を、20分とか45分までに細分化してますます切り下げました。移動コストも待機コストもカウントしていない。政府はおそらく生活援助を介護保険から外したいと思っているでしょう。