年を重ねるうちに、家族や友人、職場の同僚や後輩など、守るものが増えていく人が多くなります。誰かの世話をしている間は自分の悩みを忘れられますが、世話をする相手がいなくなってしまうとやりがいを失い、「空の巣症候群」と呼ばれるような喪失感を覚えるようになります。
これまで働いていた人が定年退職すると、夫婦で一緒にいる時間が苦痛になってきます。
妻が夫を嫌がるケースが多いせいか「夫源病」と呼ばれますが、共働き世帯が増えたことで性差は減ってきているのかもしれません。
もっと年を重ねると、視力や聴力のおとろえを感じるようになり、関節痛などのいろいろな持病を持つようになります。特に老人性難聴は人間関係にも影響を与えます。他人に聞き返すのがおっくうになって、聞いているふりをしたり、人の集まりへの誘いを断ったりするようになります。
ベンジャミン・フランクリン(アメリカの政治家・科学者)は「死と税金からは逃れられない」という言葉を残しました。加齢現象からは逃げられませんが、その中でどう生きていくかは選べます。
突然ですが、みなさんは次のうちどちらを選びますか?
1 聴力は失うけれど視力はある
2 視力は失うけれど聴力はある
厳密な研究ではありませんが、筆者の身近で調べた限り、1を選ぶ人が多いです。
「大切な人の顔やきれいな景色を見たいから」
「家族の小言を聞かなくてすむから」
さまざまな理由があるはずです。
どちらが大切かを比べるためには、実際に失った人がその後どうなったかを考えるとわかりやすいでしょう。
原井宏明・松浦文香 著
聴力を失った人が補聴器などで聴力を取り戻したときよりも、視力を失った人が手術などで視力を取り戻したときのほうが自殺をしやすいという研究があります。
その理由としては、視力を回復すると、これまで助けてくれた人を失うことになるため、自殺につながるのだと考えられています。
たしかに、視力を失った状態は傍から見てもわかります。駅で白杖を持った人には気づき、手助けなどできますが、難聴の人には会ったのかどうかすらわかりません。
あなたは視力と聴力のどちらを大切にしたいでしょうか?